處で、片倉を燒いた伊藤益良は※[#「土へん+(鹵/皿)」、鹽の俗字、197−1]子に至りて自殺し、川俣茂七郎は朝房山から大橋に逃げ、土兵に迫られて戰ひ死し、殘黨四十人羽衣に入りて悉く土民の手に落ちた。
水野主馬はもと結城藩老、天狗の携ふる所となれる者、土浦より結城を志し、行々土兵に苦しめられつゝ、十日夜九つ時、猿島郡新和田にて捕へらる。七日府中にて左の腕を傷つけ、九日には左の顎を槍で刺されたといふ。今一あしで結城へ入《はい》れたのだ。水海道で斬られた。年二十五。白面の貴公子、秋冷の林中に夜をあかしかねて、如何ばかり長嘆したらうと思ふとあはれである。
腰ぬけ林と呼ばれた薩摩の林庄七郎は谷田部で捕へられた。梅村眞一郎は島原藩士、其友伊藤益良の死を聞き、潮來にひきかへして自殺した。古の風になしてよ大みいつふるひて今の亂れたる世を。
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八日大山崎と申所へ浪人二人上陸一人無刀にて船頭の裝をなし人家有之處へ出かく金鼓のあひづにて村々百姓共駈集り捕へ申候一人山上に居候由山を卷候處此浪人年十九計支度も相應襷をかけ數人を相手に防ぎ戰ひ中々手利云々終槍にて刺殺申候大將らしき身なりの由に候
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水海道から鬼怒川すりあひの渡しを西へ越えた二十一人は、飯沼の弘經寺へ押入|古間木《ふるまぎ》へ通り、倉持の杉山を經て鴻山で二手に別れ、十一人は芦ヶ谷を燒いて平塚に移り、又々放火、沼を渡つてから行方不明となつた。一組は國生に出たが、亦林中に沒し去つた。
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昨九日晝頃火急の義にて手配不行屆旁漸く一人突殺申候門前を通行致候浪賊十人位山林へ逃込候を村々人足繰出し山搜し致候得共見當り不申昨十日沓掛邊より沼縁不殘村人足罷出山林を押し清水頭と申山にて一人突留昨日小堤にて七人生捕稻尾にて一人突殺し當村にて二人突殺し蛇池にて一人生捕逆井村にて一人突留仁連村にて一人生捕都合十四人御地の振合に引比候而はまだ/\愚かの事に候
右書面認候内又々一人召捕候
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突留突殺し[#「突留突殺し」に傍点]が大概竹槍である。嘗つて民間の財物を強奪し、又筑波山集屯の黨に加はりし者は、允許を待たずして死罪に處すべしとの命令だから、見ず知らずの旅人や、道具の新らしい棒天振などは、容赦なく斬られ殺されてゐる。
五
西岡邦之介は鉾田から小川に脱したが、九月七日雨に遭ひて夜鶴田の原に宿つた者は六十人に足らなかつた。八日府中の城下を燒いて、栗原越にかゝつた時、土浦藩士に要撃せられ死する者十二人。酒丸に到りて五人、刈間にて二人。
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酒丸安樂寺境内裏の笹山にて緋毛氈敷二人自害一人は宇都宮左衛門 傍に肩先鐵砲受候者一人居候を生捕斬首
宇都宮は紫緘の革の鎧陣羽織を着其上ござ着て打たれ申候大小一腰金子二十兩有之
西岡自殺鎧傍に捨あり金銀糸にて縫候もの着用外三人亦綸子金銀の縫也
栗原にてきり取候十二の首は俵に詰め馬につけ土浦へ送申候
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慘話續々、ひろふに堪へぬ。
西岡宇都宮等の遺骸は安樂寺に葬つたらしい。栗原越で死んだ十二人は今でも「天狗塚」として殘つてゐる。槍原の金もちの爺さんが天狗來ると聞いて槍を擔いで往來へ飛出したところを、いきなり斬り倒された。村の人達は笑止がつて天狗塚へ花を捧ぐる人もなかつたが、去る大演習の年、陛下栗原をお通りになるといふので、塚を改め築いて、はじめて「天狗塚」の高札をかゝげた。改葬した時、拾ひ出した骨は十九人分あつたといふ。素人ばかりでしらべたのであらうから信否は保留したい。若しかしたら古い塚か墓の中へ十二人を投げこんだのではあるまいか。
宇都宮左衛門は戸田彈正ともいつた。宇都宮藩主戸田侯の一族で、水野主馬同樣人質としてとりこめられてゐたのだとも傳へる。とにかく筑波客將の末路は俵に首を詰めた悲劇が大團圓である。
珂北を荒し廻つて、鯉淵農兵に狩り立てられ、逃げて八溝山中に入つた田中愿藏の一隊は、食物のありよう筈はないから、一人二人と山を下りて捕へられ、愿藏亦捕へられた。女の着物を着てゐた。部下六十人、中には十三十四の少年もゐた。後手に縛られたまゝ倉へ押籠められ、水もめしもくれず。ひよろ/\になるのを待つて斬つた。磐城國塙での事だ。
愿藏は辭世を書く間手を緩めてくれと願つたが、きかれない。よんどころなく筆を口にくはへて絶命の辭を殘した。愿藏等六十人を斬つた男は死體を懇ろに葬つてさゝやかな石を建てた。二三年前、史蹟保存の意味で其事を書いて大きな石を建てた特志の人がある。名は金澤春友。
私の知る限りでは天狗は例外なしに馬捨場へ捨てられてゐる。棺も無く槨も無い。大勢だと大きな穴を掘つて、蓆に卷いたまゝの尸を轉がしこんだ。
死囚の罪人はひとり天狗といはず、すべて馬捨場へ埋めたものらしい。私は幼時母と車で下妻の石堂を通つたことあり、塔婆二三本倒れたのもあり、かしいだのもあつた。あすこには木戸の軍藏が埋められてゐるんだよと教へられた。石堂は馬捨場である。下妻で斬つた天狗の遺骸は皆此處に殘つてゐる筈だ。荒草離々、虫、秋に啼いてさびしき靈をなぐさめるであらう。
底本:「雪あかり」書物展望社
1934(昭和9)年6月27日上梓
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「衛」と「衞」の混在は底本通りにしました。
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2003年7月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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