るめを卷く事と、酒を呑ませる事は必然性が無いやうだ。私は今度五葉の松を移したが、高さ五間もあつたから大きい事は大きいが、『こんな大きな五葉は六七里四方には見當りません。これを枯らしては冥加に盡きますから』といはれて酒も呑ませたが。

 樫はよく生えるが、樫の苗木ぐらゐ植えて根づかぬ木も無い。が大きければ大きい程よくつく。

 凧を上げる。霞浦から朝に晩に飛行機が來るだけであつて、飛行機凧まで出來た。しりつぽ無しだ。筑波颪といつてもあまり寒くはない風の中に、大きいの、小さいのが浮んでゐる。
 私達子供の時分は、床屋のへつか[#「へつか」に傍点]――何故へつか[#「へつか」に傍点]と呼ばれたか知らないが――の上げる定九郎凧、開いた傘を背中に背負つて縞の財布を鷲づかみにした人形型の大凧を見て、大入道凧を貼つてあげて見た。西ノ内十枚の大きさはあつたらうか。角凧と違つて縱に長い人形だからひき[#「ひき」に傍点]は弱いが、空中に浮んだなりが、地藏樣のやうだといふので村中の評判の惡いこと夥しい。
 私は不評をとりかへす氣で、眼のまはりをくり拔いて、瞳だけくるくる回轉するやうに拵へて見た。村の連中は鳴りを鎭めた。入道の目玉は一面赤く一面白くした。風が吹くと空中に突立つて、くわつと見開いた眼がくるりとなつたと思ふと白く、くるり回ると赤くなつた。
 二枚位の凧を上げてゐて不思議に思ふことが一つあつた。それは日沒後まだあかねの射す頃、十分に上つた凧が惜しくて下さずに遊んでゐると、風はばつたり止んでしまつても凧の下りぬ事だつた。小づかひを貰ふ度糸を買足し/\して、たるみにたるむ程長く伸してるのだから、凧は可なり遠く高く、風の吹き止んだ夕暗の中にぽつんと浮んでゐるのだ。二度ばかり出くはした。下界の風は凪いでも、天空には不斷に吹いてゐるのであらう。

 溶けやすきは春の雪だ。半井桃水の名は樋口一葉を聯想して忘れられぬが、其書いた物の中に、惡黨に追はれて雪の中を逃げ廻る女が、逃げながら『何某にここでころされてしにます』と足あとで印したといふのがあり、飛行機の煙で空中に文字を綴るなら知らぬ事殺されかけてゐる雪の中でさうした文字を足あとで殘す事はホルムスも知らなかつたであらう。
 私達は國色無双の麗人が駿馬痴漢を乘せて走る悲しみあるを知つてゐる。それと同時に不斷推服せる女性がなアんだあんな奴と結婚してと唾をひつかけてやりたく思つたこともある。或女流作家が私はたとへ無名で終つても美人であつた方が嬉しいと思つたであらうといつたのは女でなければ分らぬ心理だ。桃水がああした愚作を殘した男だからとて、一葉を輕蔑するにはあたらない。

 私の方では、野菜の速成栽培に刺戟されて、筍の速成が盛んになつて來た。二月の瓜の珍らしからぬ事は疾く書かれてゐるが「雪中の筍」ももう珍らしくはなくなつた。筍を早く生やすには、竹山へ六七尺の堆肥をするのだが、一寸か二寸位に延びた筍は、三冬すでに地中に横たはつてゐるのだ。
 尤もさうしたのはあまかはばかりで、肉はまだ芽ぐんでもゐぬ。孟宗がお袋にねだられて雪中掘つたといふは、さうした小さなものであつたらう。氷の上で寢て鯉を捕つた王渉の話も、考へて見れば、鯉は寒中が一番うまい。食心棒ならずとも、さうした折に筍がたべたい鯉がくひたい位は言ふ。それを二十四孝に數へた支那人が頓馬なのである。

 お才が越後から來たてに、私の地方で田にし[#「田にし」に傍点]を食ふのを見て、さもさも穢い物をくふかのやうに目を剥いてゐたが、越後あたりでは喰べないのであらうか。外ではどうあらう。上總の片貝へ行つた時、あの邊では目籠をかかへて拾つてゐたから、千葉縣あたりは食ふらしい。
 私の祖父は四十年間の日記を殘したが、其中に越後から稼ぎに來た男、名主丑藏方にて初めて蜆汁をふるまはれ、暫くしてあとを盛つてやらうとしたら、澤山です、もう澤山です、どうも固くてと斷るので、見ると殼ごと喰べたのだと書いてある。丑藏は元は名主だつたが、うちへ來ては農男をしてゐた男だから、祖父を笑はせる爲につくりごとをしたとしか思へぬ。
 蜆をからごど食つたのは作話としても、田にし[#「田にし」に傍点]を喰べぬはなしは嘘では無い。越後は不思議の國だ。雪はもう溶けるであらう。



底本:「雪あかり」書物展望社
   1934(昭和9)年6月27日上梓
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2003年7月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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