蠶兒の糸を吐いて盡きざる如くなるや。
 已にしてまた之を想ふ、人生れて疾を天に享く、素より極めて悲むべし、然れども人生れて才藻の嬖寵を詩神に享くるに至りては、世孰れか之を庶幾し、之を望んで得るものぞ、天地たゞ僅に一の詩人あり、よく足を※[#「足へん+繞のつくり」、152−下−8]て※[#二の字点、1−2−22]以て、此の祝福を保つを得べし、夜雨已に身病ありと雖も、家庭穆々として家に慈なる父母あり、悌なる令弟あり、書窓五頃の庭以て地の花を養つて目を慰むるの資となすに足るなり、これ已に至福、况んや心の花の才華燦爛、心を慰むるの資、しかく深くして、しかく大なるものあるをや、あ※[#二の字点、1−2−22]夜雨、果して生を禀くるの至幸ならずと云はんや、至幸ならずと云はん乎。
[#地から2字上げ]辱知  江東生

[#ここに花園の挿絵あり]
[#改ページ]


  夕の光


堤にもえし陽炎《かげろふ》は
草の奈邊《いづこ》に匿《かく》れけむ
緑は空の名と爲りて
雲こそ西に日を藏《つゝ》め

さゝべり淡き富士が根は
百里《ひやくり》の風に隔てられ
麓に靡く秋篠の
中に暮れ行く葦穗山

雨雲覆ふ塔《あらゝぎ》に
懸れる虹の橋ならで
七篠《なゝすぢ》の光、筑波根の
上を環《めぐ》れる夕暮や

雪と輝く薄衣《うすぎぬ》に
痛める胸はおほひしか
朧氣《おぼろげ》ならぬわが墓の
影こそ見たれ野べにして

雲|捲上《まきあぐ》る白龍《はくりう》の
角も割くべき太刀佩きて
鹿鳴《かな》く山べに駒を馳せ
征矢鳴らしゝは夢なるか

われかの際《きは》に辛うじて
魂、骸を離るまで
寂しきものを尾上には
夜は猿《ましら》の騷がしく

水に映らふ月の影
鏡にひらく花の象《かたち》
あこがれてのみ幻の
中に老いたるわが身なり

月無き宵を鴨頭草《つきくさ》の
花の上をも仄《ほの》めかし
秀峰《ほつみね》光《て》らす紅の
光の末の白きかな

縋《すが》りて泣かん妹の
萎《しを》れし花環《はなわ》投げずとも
玉の冠か金光《きんくわう》の
せめては墓に輝かば


  殯宮
    (本尾秋遊の死を悼む)


東の海に出づる日は
西なる山に沒《かく》るれど
沒《かく》れぬ光《かげ》は天雲《あまぐも》の
五百重《いほへ》の遠《をち》に射渡るを

虚《むな》しき空に紅の
霞流るゝ沙《すな》の上
丘の高きに石を敷いて
築きし墓は荒れにたれ

獵矢《さつや》手挾み鹿《かこ》追ふと
森に落《おと》しけむ久米《くめ》の子が
耳朶《ほたれ》に懸けし金《こがね》の
鐶《たまき》は雨に腐《くた》されて

丹《に》を頬《ほ》に粉《ぬ》りし未通女子《をとめご》の
文《あや》ある袖も黒髮と
殯《あらき》の宮に歛《をさ》めしより
千年《ちとせ》の土となりにけり

櫻が下の曙に
春の旅こそ終りけめ
秋は如何なる風吹きて
露より霜と結ぶらむ

行けども行けども歸らざる
人を送りて野は青く
野は青くして亂れ飛ぶ
花の行方は幻の
  〜〜〜〜〜〜〜


  森の家なる
    (姉の行きたるは十五歳の春なりき)


母が乳房の珠ならで
許されざりし唇は
巖が根纏ふ山百合の
皎《しろ》き花にも觸れずして

二歳《ふたつ》まさりの姉君は
月|圓《まとか》なる春の夜を
栗毛の駒に鞍おきて
森の館《やかた》に嫁ぎけり

鶉《うづら》隱れし叢《くさむら》に
卵探すと掌《たなそこ》を
茨《ばら》にひきさく野人《のゝひと》の
われは雄々しき兒なりしか

寂《さび》しさ知りて麥笛を
霞の丘に鳴らせども
美し人は青麥の
青きを分けてあらはれず

水|涸々《かれ/″\》の石川に
秋は肥たる鮠《はえ》の子を
小笹に貫《ぬ》きてさげかへるも
匂へる眉は戸に見えで


  沼にて


蓮の浮葉かきわけて
棹さしめぐる湖や
落る日天の雲染めて
夕の浪は靜なり

筑波も暮れぬ野も暮れぬ
唄も暮れぬる藻刈船
しなへる棹を操りて
行くべき方も暮れにけり

柳垂れたる江のほとり
橋かけ通る裸馬
うち放《はな》らかす鬣の
黒きも水に洗はれて

手綱控ふる若者の
鉢卷白し秋の風
橋と舟との上にして
戀もあれかし耻かしの
  〜〜〜〜〜〜〜


  落し水
    (山内冬彦をいたむ)


夏野の露の朝ぼらけ
靈夢《くしぶるゆめ》はさめにけり

喚《よ》べどかへらぬ隼の
深山の雲に鳴くと見て

宵の燎火《かゞりび》白々と
土橋の爪に消えのこり

蜘手に開く小田の路
野は露ならぬ草も無し

堰に落ち込む落《おと》し水
秋は小川に迫り來て

黒髮《くろかみ》山は朝曇
曇りて北に見ゆれども

花は子《み》となるうす櫻
彌生《やよひ》をかけて夏草の

霧の深きを踏む程《まで》の
命は神のゆるしけむに

何しに人の今日死して
雲の薄きに泣かすらむ

われ
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