花守
横瀬夜雨
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)生血《ライフ、ブラッド》を以てす
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一々|椋實珠《むくろうじゆ》のやうに
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「にんべん+(「育」の「月」に代えて「冉」)」、147−下−8]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)われ/\の
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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我が夜雨の詩を讀みたるは、七八年前某雜誌に載せられたる『神も佛も』といふ一長篇を以て初めとなす、當時彼の年齒猶少、その詩想、亦今より見れば穉簡を免れざる如しと雖も、我は未だ曾てかくばかり文字によりて哀苦を愬へられたることあらず、我が彼と交を訂したるは、爾後兩三年の間にあり、彼生れて羸弱、脊髓に不治の病を獲て、人生の所謂幸福、快樂なるもの、幾んど彼が身邊より遠ざかる、彼に慈母ありて愛撫※[#「にんべん+(「育」の「月」に代えて「冉」)」、147−下−8]さに至り、家庭の清寧平温は、世稀に見るところにして、尠くとも彼自身はかれの如く悲觀す、彼もし哲人ならば、形骸を土芥視して、冷やかに人間と世間と、一切を嗤笑して止みしならむ、彼もし庸人ならば、無氣淪落その存在を疑はれて止みしならむ、然れども彼は情の人なり、眞の人なり、脆弱なる地皮より熱漿を吐く如く、彼が孱躯は肉を蠢にし、詩を靈にしたり、彼が詩は、實に悒然樂しまざるあまりに吐かれたる咳唾なり、尋常人に無意味なる落葉一片も、彼は清唳なくして之を看過する能はず、人生は彼に在りて憂が描ける單圈のみ、愁苦を以て※[#「榮」の「木」に代えて「糸」、第3水準1−90−16]結し、詩を以て分解す、彼が從來の半生涯傳は是也、故に彼の詩の半面は險、澁、幽、暗にして、他の半面は眞、率、慘、澹、之を貫ぬくに脈々たる生血《ライフ、ブラッド》を以てす、詩豈活きざらんや。
彼は筑波山麓、槿籬周ぐれる祖先の故宅に起臥して、世と相關せず、彼の健康は農民に伍して、耒耨に從ふを許されず、庭園に灌ぎ草花を藝ゑて、僅に悶を遣る、海内の青年文人、彼の詩名を聞くもの、悦んで遠近より種子を彼に頒ち、彼の花園自然の生色を絶たず、白は誰の心、紅は誰の情、花守詩人の名は、最もふかく彼の詩を吟誦する青年間に高し、彼の詩集に『花守』を以て題したるは我等諸友人にして、主人自らは干與せざるなり、放曠概ね此類なり、その詩、字櫛句爬、分折毫毛、純乎として純なる眞人の詩也、病詩人の詩也、薄倖文人の詩也、かの西國詩人の冷飯殘羹を拾うて活くる、才子の作と同じからず、詩豈活きざらむや。
然れども彼が如く、世間と杜絶せる境遇に在るを以て、その謠ふところ、眼前咫尺、平凡常套の事にして、往々單情粗心、或は稚兒に似たる感情を洩らすことなしと言ふを得ず、げに『花守』一卷は哀詩也、この哀詩に先づ充たすべき缺陷あらば、そは壯嚴《サブライム》なる悲哀《ソルロフ》ならむ、然れども是なくして※[#「りっしんべん+非」、第4水準2−12−50]惻の氣、猶且人に迫ること彼が如くむば、彼の詩がいかに眞人の眞情より結晶したるものなるかを窺ふに足らむ。彼自ら寡聞寡讀をいふ、左右に何等の參考書册なく、附近に彼を慰藉する友人あるなし、彼の暮夜獨坐神往して詩を作るは、猶松蟲鈴蟲の、肅殺なる秋野に興酣しておのづから吟《すだ》くがごとし、謠ふものと聽くものと、等しく恍焉忘我の境に入ると雖も、荒凉慘澹、寧ろ耳を掩ふに遑あらず、詩豈活きざらむや。
吁嗟かくばかり覊軛ある世に、詩《うた》のみぞひとり自由なりける、天は彼より一切を徴して、代ふるに最も自由なるものを以て授く、彼亦聊か安んずるところなかる可らず、彼は終始常陸の僻邑に蟄居して、識を所謂中央文壇に求めざるを以て、彼の詩或は多く世に知られざらむ、友人某、々、々等深く之を遺憾とし、其詩集を公にせむことを勸む、我亦與かる、彼曰く、我世に望むところなし、只この一小册子を、垂白の慈母に、献じ、その※[#「女+兪」、第3水準1−15−86]容喜色を見るを得ば則ち足れりと、蓋し彼の慈母は彼の最大同情者にして、亦彼が敬愛する最初の人也、彼の詩を識ること、最愛吟誦者なる我等諸友人に讓らざればなり。
彼の詩はかくの如くして作られ、輯められ、刊行せらる、彼を江湖に紹介するものは彼自身の詩也、彼の詩を世に問ふに至りたるは我等諸友人也、即ち茲にその始末を記して、序となす。
[#地から2字上げ]辱知 小島烏水識
[#瀧澤秋暁(1875−1957)の序文あり]
[#河井醉茗(1874−1965)の序文あり]
わたく
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