ために、家の修繕も出来ないのだということを腹に持っていた。
「もう今日きりやめさせて了えやえい」と彼女は同じことを繰り返した。「うら[#「うら」に傍点]が始めからやらん云うのに、お前が何んにも考えなしにやりかけるせに、こんなことになるんじゃ。また、えいことにして一年せんど行くやこし云い出して……親の苦労はこっちから先も思いやせんとから!」
「うっかり途中でやめさしたら、どっちつかずの生れ半着《はんちゃく》で、これまで折角銭を入れたんが何んにもなるまい。」
「そんじゃ、お前一人で働いてやんなされ! うら[#「うら」に傍点]あもう五十すぎにもなって、夜も昼も働くんはご免じゃ。」
「お、うら[#「うら」に傍点]独りで夜なべするがな。われゃ、眠《ね》むたけれゃ寝イ。」為吉はどこまでも落ちついて忍耐強かった。朝早くから、晩におそくまで田畑で働き、夜は、欠かさず夜なべをした。一銭でも借金を少くしたかったのである。
 おしかはぶつ/\云い乍《なが》らも、為吉が夜なべをつゞけていると、それを放っておいて寝るようなこともしなかった。
 戸外には、谷間の嵐が団栗の落葉を吹き散らしていた。戸や壁の隙間《すきま》から冷い風が吹きこんできた。両人《ふたり》は十二時近くになって、やっと仕事をよした。
 猫は、彼等が寝た後まで土間や、床の下やでうろ/\していた。追っても追っても外へ出て行かなかった。これでも屋内の方が暖いらしい。……大方眠りつこうとしていると、不意に土間の隅に設けてある鶏舎《とや》のミノルカがコツコツコと騒ぎだした。
「おどれが、鶏をねらいよるんじゃ。」おしかは寝衣のまま起きてマッチをすった。「壁が落ちたんを直さんせにどうならん!」

      二

 両人は、息子のために気まずい云い合いをしながらも、息子から親を思う手紙を受け取ったり、夏休みに帰った息子の顔を見たりすると、急にそれまでの苦労を忘れてしまったかのように喜んだ。初めのうち、清三は夏休み中、池の水を汲むのを手伝ったり、畑へ小豆の莢《さや》を摘みに行ったりした。しかし、学年が進んで、次第に都会人らしく、垢ぬけがして、親の眼にも何だか品が出来たように思われだすと、おしかは、野良仕事をさすのが勿体ないような気がしだした。両人は息子がえらくなるのがたのしみだった。それによって、両人の苦労は殆どつぐなわれた。一年在学を延期するのも、息子がそれだけえらくなるのだと思うと、慰められないこともなかった。
「清よ、これゃどこの本どいや?」為吉は読めもしない息子の本を拡げて、自分のものゝように頁をめくった。彼には清三がいろ/\むずかしいことを知って居り、難解な外国の本が読めるのが、丁度自分にそれだけの能力が出来たかのように嬉しいのだった。そして、ひまがあると清三のそばへ寄って行って話しかけた。
「独逸語。」
「……独逸語のうちでもこれは大分むずかしんじゃろう。」
「うむ。」
「清はチャンチャンとも話が出来るんかいや?」おしかも楽しそうに話しかけた。清三は海水浴から帰って本を出してきているところだった。
「出来る。」
「そんなら、お早よう――云うんは?」
「……」
「ごはんをお上り――はどういうんぞいや?」
「えゝい。ばあさんやかましい!」
「云うて聞かしてもよかろうがい。」おしかはたしなめるように云った。
「えゝい、黙っとれ!」
「お、親にそんなこと云《い》よれ、バチがあたるんじゃ。」おしかは洗濯物をつゞくっていた。
 清三は書物を見入っていた。ところが、暫らくすると、彼は頭痛がすると云いだした。
「そら見イ、バチじゃ。」おしかは笑った。
 だが清三の頭痛は次第にひどくなってきた。熱もあるようだ。おしかは早速、富山の売薬を出してきた。
 清三の熱は下らなかった。のみならず、ぐん/\上ってきた。腸チブスだったのである。
 彼女は息子を隔離病舎へやりたくなかった。そこへ行くともう生きて帰れないものゝように思われるからだった。再三医者に懇願してよう/\自宅で療養することにして貰った。
 高熱は永い間つゞいて容易に下らなかった。為吉とおしかとは、田畑の仕事を打ちやって息子の看護に懸命になった。甥の孝吉は一日に二度ずつ、一里ばかり向うの町へ氷を取りに自転車で走った。
 おしかは二週間ばかり夜も眠むらずに清三の傍らについていた。折角、これまで金を入れたのだからどうしても生命を取り止めたい。言葉に出してこそ云わなかったが、彼女にも為吉にもそういう意識はたしかにあった。彼等は、どこにまでも息子のために骨身を惜まなかった。村の医者だけでは不安で物足りなくって、町からも医学士を迎えた。医学士はオートバイで毎日やってきた。その往診料は一回五円だった。
 やっと危機は持ちこたえて通り越した。しかし、清三は久しく粥と卵ば
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