致を発露する如く、戦争は実に、国民品性の極致を発露すべきものなれば也。死生の際が人情の極致を発露する時なりとして詩歌に、小説に、美文に採用せられ、歌はれ、描かれ写されつゝあるは、通例の事に属す。独り国民を挙つて詩化し満目詩料ならざるなく、国民品性の極致を発露し口を開いて賛すべく、嘆すべく、歌ふべく、賦すべきの事に満つる戦時に於て、文士或は却て筆を収めむとするは何ぞや。」
[#ここで字下げ終わり]
以て如何に熱狂的だったかが知れるだろう。今度は、日清戦争のときの比ではなかった。戦争小説は、量的には無数に現れた。江見水蔭だけでも、百三十四篇を書いている。しかしながら、その多くは日清戦争当時と同じく、真面目な文学的努力になるものではなかった。この十年間に、文学運動の上では、言文一致の提唱とその勝利があったが、そしてそれは、より直接的に社会生活を反映し得る手段を整えたものと云い得るのだが、作品に於ては、現実は歪曲され、愛国主義は鼓吹された。自然主義運動勃興以前の各既成作家の行きづまりは、恐ろしく、水っぽい戦争小説の洪水をもたらした。それは、後の自然主義運動に於いて作家としての生長を示した徳田秋声の、この時の作品「通訳官」を見ても、また、小栗風葉の「決死兵」、広津柳浪の「天下一品」、泉鏡花の「外国軍事通信員」等を見ても、その水っぽさと、空想でこしらえあげたあとはかくすべくもない。だが、それらの一つ一つの各作家に於いても、あまりに重要でない作品に対して吟味を与えることは、恐らくそう必要ではなかろう。それよりは、一九三一年の満州上海事変とその後に於て、ファッショ文学が動員されている如く、既に一八九四年の最初の戦争から一貫して、文学は戦争のために動員されていることが注目に価する。そして、そのいずれの文学も下劣極る文学だったことが注目に価する。そして、なお日清戦争後には、高山樗牛の日本主義の主張が起り、日露戦争後には、岩野泡鳴の国粋主義の主張が起ったことも、一九三二年のファッショの発展と照合して、(勿論その社会的根拠に非常な相違はあるが)注目に価する。
更に、もう一つ指摘するならば、一九三〇年頃より「日米若し戦はゞ」とか「米国恐るゝに足らず」とか云った日米戦争未来記が市場に洪水している如く、日露戦争前にあっては、日露戦争未来記が簇出して、いやが上にも敵愾心をあおり立てゝいたこと
前へ
次へ
全13ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング