には、各々、戦闘の片影が残されていた。森をくゞりぬけて奥へパルチザンを追っかけたことがある。列車を顛覆され、おまけに、パルチザンの襲撃を受けて、あわくって逃げだしたこともある。傷は、武器と戦闘の状況によって異るのだ。鉄砂の破片が、顔一面に、そばかすのように填《はま》りこんだ者は爆弾戦にやられたのだ。挫折や、打撲傷は、顛覆された列車と共に起ったものだ。
負傷者は、肉体にむすびつけられた不自由と苦痛にそれほど強い憤激を持っていなかった。
「俺《お》ら、もう十三寝たら浦潮へ出て行けるんだ。」大西は、それを云う時、嬉しさをかくすことが出来なかった。
「そうかね。」
栗本は、ほゝえんで見せた。彼は内地へ帰れることを羨んだ。その羨しさをかくそうとすると、微笑が、張り合いのぬけた淋しいものになる。それが不愉快なほど自分によく分った。
「なんか、ことづけはないかい?」
「ないようだ。」
「一と足さきに失敬できると思うたら、愉快でたまらんよ。」
そこにいる者は、もはや、除隊後のことを考えていた。彼等の胸にあるものは、内地の生活ばかりであった。いつか、持って来た慰問袋を開けていると、看護長がぶら/\病室へ這入ってきたことがある。慰問袋には一ツ/\何か異ったものが入れてあった。寒いところで着るための真綿がある。石鹸、手拭、カキモチが這入っている。高野山の絵葉書に十銭札を挟んである。……それが悉く内地の匂いに満ちていた。手拭には、どっかの村の肥料問屋のシルシが染めこまれてある。しかし、それはシベリヤで楽しむ内地の匂いにすぎなかった。戦友は、這入ってきた看護長を見ると、いきなり、その慰問袋から興味をなげ棄てた。
「看護長殿、福地、なんぼ恩給がつきます?」
栗本には思いがけないことだった。彼は開けさしの袋をベッドにおいたまゝボンやりしていた。
「お前階級は何だい?」
恩給がほしさに、すべてを軍隊で忍耐している。そんな看護長だった。恩給のことなら百科辞典以上に知りぬいていた。
「一等卒。」
「ま、五項症に相当するとして……増加がついて二百二十円か。」
足のさきから腰まで樋のような副木《ふくぼく》にからみつけられている、多分その片脚は切断しなければなるまい、それが福地だった。大腿の貫通銃創だ。
「看護長殿、大西、なんぼ貰えます?」
「踵を一寸やられた位で呉れるもんか。」
「貰わにゃ引き合いません。」
負傷者は、それ/″\、自分が何項症に属するか、看護長に訊ねるのであった。何項症であるか、それによって恩給の額がきまるのだ。そんな場合、栗本には、彼等が既に国家に対して債権者となっているように見えてきた。
「何だい! 跛《びっこ》や、手なしや、片輪者にせられて、代りに目くされ金を貰うて何うれしいんだ!」彼は何故となく反感を持った。
しかし、これから、さき、なおどれだけ自分の意志の反してパルチザンを追っかけさせまわらされるか量り知れない自分にはうんざりせずにいられなかった。丈夫で勤務についている者は、いつまでシベリアにいなければならないか、そのきりが分らないのだ。
「俺もひとつ、軽い負傷をしてやるかな。」
彼は、ひそかに考えた。彼はシベリアにあきてしまった。パルチザンと鉄砲で撃ち合いをやり、村を焼き、彼等を捕えて、白衛軍に引渡す、そういうことにあきてしまった。白軍の頭領のカルムイコフは、引渡された過激派の捕虜を虐殺して埋没した。森の中にはカルムイコフが捕虜を殺したあとを分らなくするために血に染った雪を靴で蹴散らしてあった。その附近には、大きいのや、小さいのや、いろいろな靴のあとが雪の上に無数に入り乱れて印されていた。森をなお、奥の方へ二つの靴が、全力をあげて馳せ逃げたあともあった。だら/\流れ出た血が所々途絶え、また、所々、点々や、太い線をなして、靴あとに添うて走っていた。恐らく刃を打ちこまれた捕虜が必死に逃げのびたのだろう。足あとは血を引いて、一町ばかり行って、そこで樹々の間を右に折れ、左に曲り、うねりうねってある白樺の下で全く途絶えていた。そこの雪は、さん/″\に蹴ちらされ、踏みにじられ汚されていた。凍ったかち/\の雪に、血が岩にしみこんだようになっていた。捕虜は生きのがれようとあるだけの力を搾って抵抗したのだろう。森のまた、帰る方の道には、腕関節からはすかいに切り落された手や、足の這入った靴が片方だけ、白い雪の上に不用意に落されてあった。手や足は、靴と共にかたく、大理石の模型のように白く凍っていた。
日本軍が捕虜を殺したのではない。しかし、暴虐に対する住民の憎悪は、白衛軍を助けている侵略的な日本軍に向って注ぎかえされた。栗本は、自分達兵卒のやらされていることを考えた。それは全く、内地で懐手をしている資本家や地元の手先として使われているのだ。
前へ
次へ
全11ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング