、今になって、ませた口をたたいてやがら。」
「じゃ、兄さん、あの時から、こっちの暮しが、こんな見すぼらしいものだって分ってて?」
「俺ら、なんぼなんだって、こんなにひどいとは思わなかったよ。」
「私、ちゃんと分ってた。……おじいさんがなくなったのに、お母さんもつれずに、たった一人っきり、お父さんが帰っちゃったでしょう、あれで、もうすっかり、すべてが分るじゃないの。」
「へええ、貴様あとからえらそうなことを云ってやがら。」
 妻に子供を残されて、逃げ帰られてしまってから、二人はお互にかたく結びつくようになった。
 第三者にいわすと、幹太郎はもっといい妻がほしくって、トシ子をヘイ履[#「ヘイ履」に傍点]の如く捨て去ったのだった。ところが、一度、妻とした女を、かえすということは、功利的な打算だけで、そんなに、たやすく出来得ることじゃなかった。旧式な彼には、いろいろな迷いや、苦悩や、逡巡があった。それを知っているのは、すゞだけだ。彼は、妹が、しみ入るように好きになった。子供も彼女になついた。すゞは、浅草の鳩のように、人なれがしていた。つかまえようとすると、鳩が、一尺か二尺かの際どいところで、敏感に、とび立って逃げる。そんなかしこさがあった。
 彼女が内地へ帰ったのは、もう、これで七回目だ。

     六

 巷《ちまた》の騒々しさと、蒋介石の北伐遂行の噂は、彼女が内地へ着いた頃から、日々、頻ぱんになって来た。
 在留邦人達の北伐に対する関心は、幾年かを費して、拵え上げた財産や、飾りつけた家や、あさり集めた珍らしい支那器具や、生命を、五・三十事件当時の南京、漢口の在留者達のように、無惨に、血まみれに、乱暴な南兵のため踏みにじられやしないか、という一事にかかっていた。
 彼等は、誰かからそういう心配をするように暗示された。彼等はそのことのために、居留民団で会議を開いた。二人の選ばれたものが、領事館へ陳情に出かけた。小金をためこんでいる者も、すっからかんのその日暮しの連中も、同様に暗示にかかって、そのことにかゝずらった。
 絶えまない軍閥の小ぜり合いと、騒乱の連続は、その暗示をなお力強いものにした。――実際、町ではしょっちゅう騒乱が繰りかえされていた。遊芸園の東隣の女子学校へ、巡邏《じゅんら》の支那兵が昼間|闖入《ちんにゅう》した。
 支那兵は二人だった。二人の支那兵は、女学生の寄宿している宿へ入り、彼等の飢えた性欲を十分に満足させた。
 ところが、女教師は、兵士に、そのことを内所にしといて呉れと頭を下げて頼むのだった。兵士は金を要求した。教師は弱味につけこまれた。金を出した。
 しかし、二人は青黒い兵営に帰ると、そのことを、ほかの者達にすっかり名誉のようにバラしてしまった。
 夜になると、まだ味をしめない兵士等が、群をなして学校へ押しよせて来た。支那語の叫喚、金属的なざわめきが、遠くで騒がしく起った。
 街では、毎晩、そこ、ここの家々が、武器を持った兵士等に襲われた。「諱三路《ウイサル》の×さアん、いらっしゃいますか? 急用!」映画を見ている最中に、木戸から誰かが呼ばれると、呼ばれない、附近の者までがギクリとした。――おや、又、強盗かしら?
 兵士達は食に窮していた。顔と頭を黒い布で包み、大きな袋のような大褂児《タアコアル》に身をかくしている。それは、どこでもかまわず、めちゃくちゃだった。
 土匪のように現金のある家をねらった計画的なものじゃなかった。それだけに尚、厄介だった。貧乏な者までが、気が気じゃなかった。
 そいつは押し入ると、獲物を求める、夜鷹のように、屋内を、隅から隅へ突きあたり、ひっくりかえした。はね上がったり、すねを突いて、物置の奥へ手を突ッ込む拍子に、大褂児の裾から、フト軍服の※[#「ころもへん+庫」、第3水準1−91−85]子《クウズ》がまくれ出た。
「おや、兵隊だ!」
「兵隊がどうしたい?」
「兵隊だって食わずにゃ生きとれねんだぞ。督弁《トバン》は一文だってよこさねえし!」
 そいつらは正体を見破られて引っ込むどころじゃなかった。「我的我的《オーデオーデ》! 爾的我的《ニーデオーデ》! (おれのもんはおれのもんだ! お前のもんはおれのもんだ!)」
 工場では、内川が、北伐にともなう、共産系の宣伝と組織運動、動乱にまぎれての工人の逃亡に対する対策に腐心していた。
 頭の下げっぷりが悪い、生意気な者には、容赦のないリンチが行われた。
 工人は妻のある男も、夫のある女工も、門外に出ることを絶対に禁じられた。すべてが、二棟の寄宿舎に閉じこめられてしまった。
 門鑑は、巡警によって守られていた。
 巡警は、公司《コンス》の証明書を持たない者には、一切入門を拒絶した。
 逃亡の防止策としては、給料が払われなかった。工人達は、三月末に受け取る筈の一カ月分の給料と、四月になってから働いた分を貰わず、そのままとなっていた。
 彼等の仕事は、すべて請負制度だった。
 彼等は、函詰、百八十盒でトンズル一文半(日本の金で約九厘)を取った。軸列一台(木枠三十枚)トンズル二文半、外し一車につき、一文、小箱貼り、軸木運び、庭掃は一カ月二円か三円だった。骨が折れること、汚いこと、燐の毒を受けることはすべて彼等がやった。日本人はピストルを持って見張っているだけだ。
 そして燐寸は、中国の国産品と寸分も異わないものが出来上った。商標も支那式で「大吉」を黄色い紙に印されていた。レッテルの四隅には「提倡国貨」(国産品を用いましょう)とれい/\しく書いてあった。
 これは排日委員会で決議されたスローガンの一ツだ。それが、うま/\と逆用されていた。――なる程、何から何まで、すべてが支那人の手によって作られたものである。支那の国で作っている。だから、支那の国産品にゃ違いなかった。資本をのければ。
 猛烈な日貨排斥運動に、皆目売れ口がない神戸マッチを輸入して、関税や、賦金や、附加税を取られるよりは、労働賃銀が安い支那人を使って、全く支那の製品と違わない「国産品」を、支那でこしらえ支那で売る方がどれだけ合理的なやり方か知れない。
 大井商事は、とっくにこれに眼をつけていた。マッチだけじゃない。資本家は、紡績にも、機械にも、製粉にも、搾油にも、製糖にもこの方法を用いていた。世知辛い行きつまった内地で儲けられない埋め合せはここでつけた。
 工人達の窮乏は次第に度を加えて来た。彼等はただ饅頭《マントウ》や、※[#「火+考」、第3水準1−87−43]餅《コウビン》のかけらを食わして貰うだけだった。そして湯をのまして貰うだけだった。金は一文もなかった。
 金がない為めに、一本の煙草も吸えなかった。ぼう/\となった髪を刈ることが出来なかった。
 稼いで金を送って、家族を養うことが出来なかった。
 三日も四日も飯にありつけない、彼等のおふくろや、おやじや、妻が、キタならしいなりをして息子に面会を求めに来ても、門鑑はそれを拒絶した。
 内には、親にあいたい息子がいた。娘がいた。妻にあいたい夫がいた。夫にあいたい妻がいた。
 外には、息子や夫の仕送りを待っている親や、妻がいた。
 小山達は、会せた後の泣きごとを面倒がって、会せなかった。
 さんぼろさげた工人達は、鉄条網の張られた白楊材置場へまわった。そこの僅かの一部分だけは、トタン塀が張られていなかった。
 そこで、彼等は、金属的な、悲しげな声を出した。
 工人達は、親の唸くような、叫ぶ声をきゝつけると、そっと、作業場を抜け出して、鉄条網のそばへしのびよった。
 彼等は、鉄条網をへだてて、内密に、面会した。
 しかし、息子は、親に与える金がなかった。夫は、妻に与える金がなかった。
 それは悲痛な面会だった。
 幹太郎はこういう者たちから、給料をくれるように話してくれとせがまれた。
「猪川さん。」王洪吉《ワンホンチ》は、おず/\と、浸点を見ている幹太郎のそばへ近よった。気の弱い、勤勉な工人の一人だ。
「何だね?」
「猪川さん。」
「何だね?」幹太郎は早く云えというような顔をした。
「猪川さん。……あのう、月給を半分だけでも渡して貰えるように、あんたから、小山さんに頼んで呉れませんか。」
 王《ワン》の、卑屈げに、はにかんだ声を、幹太郎は意識した。
「今、おふくろが来て、女房がお産をしたが、もう、三日、飯をくわずにいると云うんです。」王はつゞけた。「おとゝいまで、嬶の妹のところから、粟を貰って来て食ったが、妹のところにも、なんにもなくなっちまったんです。」
「当分、月給を渡さないということになってるんだがなあ。」幹太郎は当惑げな顔をした。
「おふくろ、大きい方の餓鬼をおぶって来て、柵の外で泣いているです。――餓鬼も、おふくろも泣いているです。」
「会計にだって、支配人にだって、俺の云うことなんか、ちっとも効果がありゃせんのだよ。」
「…………」
 王洪吉は何か云おうとして、不思議な眼つきで、幹太郎を見た。彼は、肉体と精神と、両方で苦るしんでいた。胸がへしゃがれるようで、息をすることも、出来なかった。幹太郎は王の眼から、眉間《みけん》を打たれた瞬間の屠殺される去勢牛のように、人のいい、無抵抗なものを感じた。それは無抵抗なまゝに、俺れゃどうして殺されるんだ! 俺れゃ殺される覚えはない! というように無心に訴えていた。
 ふと、彼は
「よし、云ってやるよ。話してやるよ!」憤然と叫んだ。
「まるで、君等を人間並とは考えていないんだからなア。――かまわん。待ってい給え、云ってやる! 話してやるよ!」

 幹太郎は、工場の日本人のうちで一番植民地ずれがしていない、新顔だった。支配人の内川、職長の小山、大津、守田、会計の岩井、みな、コセ/\した内地に愛想をつかして、覊絆《きはん》のない奔放な土地にあこがれ、朝鮮、満洲へ足を踏み出した者ばかりだ。内地で喰いつめるか、法律に引っかゝるかする。居づらくなる。すると先ず朝鮮へ渡る。朝鮮が面白くない、満洲へ来る。満洲も面白くない、天津へ来る。北京へ来る。そこでもうまく行かない。そういう連中が、ここへ這入りこんでいた。
 彼等は、大連、奉天、青島、天津などを荒しまわっていた。常にニヤ/\している、顔にどっか生殖器のような感じのある大津のために、娘を山分けの手数料を取られて、七八十円で売らされた朝鮮人がどれだけあるか知れない。しかも、その生娘は、一人残らず大津に「あじみ」されて、それから、買手に渡されていた。小山の棍棒にかかって、不具者となり、くたばってしまった苦力は十人を下らないだろう。
 岩井は、今こそ、いくらか小金をためて虫をも殺さぬ顔をしている。が、その金を得るために、彼は日本人でも、朝鮮人でも、支那人でも、邪魔になるものは誰でも、なきものにし兼ねない手段を選んで来た。
 そんな面《つら》の皮の厚さが、二寸も三寸もありそうなゴツイ[#「ゴツイ」に傍点]彼等も、自分自身の悪業のため、満洲がいにくゝなる。天津がいにくゝなる。青島がいにくゝなる。そしてここへやって来ていた。
 工場には、悪党上りが集った場所によくある、留置場のような、一種特別な、ざっくばらんな空気がかもされていた。こゝでは自分の悪業を蔽いかくそうとする者は一人もなかった。強姦でも、強盗でも、窃盗でも、自分の経験を大ッぴらに喋りちらした。そこへ這入って来る人間は、自分にやった覚えのない罪悪をも、誇大に作り出して喋らないと、はばがきかない感じを受けた。いろ/\な前科と剛胆な犯罪の経験をよけいに持っている奴ほど、はばをきかし、人を恐れさし、えらばっていることが出来た。
 小山は、工人の気に喰わぬ奴に対しては、燐や、塩酸加里、硫黄、松脂などが加熱されて釜の中でドロ/\にとけている頭薬を、柄杓《ひしゃく》ですくって、頭からピシャリとぶちかけた。支那人は、彼の手に握られた柄杓を見ると、物がひっくりかえるようなトンキョウな声を出して逃げ出すのだった。そのくせ、工人達が頭薬をこぼすと口ぎたなく呶鳴りちらした。
 彼等は、幹太郎をのけると、みな
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