ねる日本語で語りつゞけた。「回々教徒、人悪るい、ちちくりながら、ひとの[#「ひとの」に傍点]ツメたマッチ函、かッぱらって、自分のツメた函にする函多い。金多い。」
 時以礼《シイリイ》という工人である。蒼ざめて、骨まで細くなったような、おやじ[#「おやじ」に傍点]に見える男だ。年をきくと、三十一歳だった。まだ若い。
「ふむむ、暗くなると男工と女工がちゝくり合うんだね。その騒ぎにつけこんで、回々教徒が、人がつめたマッチを、自分がつめたようにかっぱらうんだな。なる程、面白い、面白い。」と高取は頷ずいた。「もっとやれ、もっと何か話をしろ!」
 工人は、だんだんに兵タイを怖がらなくなった。兵士は、大蒜《にんにく》と、脂肪と、変な煙草のような匂いのする工人の周囲に輪を描いた。
「あの、窩棚《ウオバン》の向うの兵営のそのさきに、英吉利人のヘアネット工場ある、私の妹、そこの女工、毎日、ふけ[#「ふけ」に傍点]とゴミばかり吸う」と、時以礼はつづけた。「妹、髪と、ゴミくさい。胸、悪るい。肺病。ヘアネットの髪、田舎の辮髪者の髪、三銭か四銭で切らして、仲買人、公司《かいしゃ》へ持って来て売る。辮髪切らない者、税金を出せという。公司、仲買人の持ってきた髪を、また六割か、五割に値切る。――仲買人、掛値を云うて持ってくる。私の親爺、昔の人、辮髪税、取られている。親爺、辮髪切りたくない。仲買人、巡警と来て、切れ、切らなければ、税金をとるという。――そんな税金、仲買人と、巡警が勝手にこしらえた税金、そんな税金ない。でも、辮髪きらない、税金無理やり取って行く。英吉利人の公司、仲買人と巡警に金掴ましている。……英吉利人、米国人、独逸人、日(云いかけたが、時以礼は口を噤んだ)……みな、支那、百姓、工人、苦るしめる。私達生きる。つらい!」
「エヘン!」
 雷のような咳払い。がちゃッという、軍刀と靴の音。すぐ、兵士達の背後で起った。重藤中尉が、知らぬまにうしろへ来て立っていた。びくッとした。
 時以礼は、唖のように口を噤んでしまった。中尉は、時《シ》を、六角の眼でじいッと睨みつけていた。支那人は、罪人のように、悄々《しお/\》とうなだれて立上った。そして、力なく肩をすぼめて、音響《ひゞき》一ツ立てずに去ってしまった。
「あいつは、お前達に思想宣伝に来とるんだろう。ここの工場にだって赤い奴が這入っとるんだぞ。あんな奴に赤化宣伝をされちゃ、お前達の面目があるめえ!」
「中尉殿、ヒョウキンな話をして居るだけであります。あのチャンコロ、一寸、日本語が分るんであります。」と高取は云った。
「嘘云うな! 聞いて知っとる!」急激に中尉の顔は、けわしくなった。「ヒョウキンな奴でもなんでもいかん! 散れ! 散れ! 散って寝ろ! 用心しろ!」
「はい。用心します。」
 兵士たちは、時以礼の話に心を引かれた。そして、その周囲に集った。宿舎はいつも暗かった。壁は、ボロ/\と剥げ落ちて来そうだ。そこは、虐げられ、苛まれた人間ばかりが集ってくる洞窟のように感じられた。
 兵士と工人、これは同一運命を荷っている双生児ではないだろうか? 昼間の憔々《いら/\》しい労働は、二人を共に極度の疲憊《ひはい》[#「疲憊」は底本では「疾憊」]へ追いこんでいた。
 俺れらは、この支那人の工人をいじめつけて、結局は、俺れら自身の頸をくゝっているんだぞ。工人達がいじめつけられてそいつが嬉しいのは大井商事だけだ。ほかの誰れでもないのだ。
 高取は簡単にその話をした。いぶかしげに頸を振る者もあった。高取は、又話をした。補足するつもりだ。俺れらがここまでやって来て、俺れらは、日本の国のために尽していると考える。国の利権を守っていると考える。その結果、肥え太ったブルジョアジーは、どんな政策をとってくるか? その結果、肥え太るのは、ブルジョアだけだぞ。金を儲けて、なお、労働者の頸をしめる。ダラ幹には金を呉れてやるだろう。しかし優秀な労働者は、ます/\頸をしめつけられるんだ。
「兵タイて、何て馬鹿な奴だろうね。」と高取は、感慨深かげに云った。「自分が貧乏な百姓や、労働者の出身でありながら、詰襟の服を着とるというんで工人や百姓の反抗を抑えつけているんだ。植民地へよこされては、ブルジョアをます/\富ませるために命がけで働いてやっているんだ。一体、なんのために生きているのか、訳が分らない盲目的とは俺等のコッたなア! 全く自分で、自分の頸をくくっているんだ!」
 皆んな、しみじみした、考えずにいられない気持になった。
「忍耐だ!」と木谷は心のうちで云っていた。「笞の下をくゞり、くゞって底からやって行かなきゃならないんだ。」
 ここにも、彼等が、内地の工場や農村で生活をした、それと同じような、――もっとひどい、苦るしい生活があった。彼らは、工人がもう一カ月も、この工場の一廓から一歩も外へ出ることを許されずにいるのを知った。月給を貰っていなかった。幼年工のなかには、一番年下の、六歳になるものが七人もいた。その五人までは、十元か十二元で、永久に買いとられた者だった。そんな子供が、やせて[#「やせて」に傍点]、あばら骨が見えるような胸を、上衣をぬいで、懸命に、軸木を小函につめていた。マッチの小函を握りかねるような、小さい手をしていた。
 腰掛の下にもう一ツ、台を置いて貰わないと、仕事台に、せいが届かなかった。
「俺等も、やっぱし、これぐらいな六ツか七ツの時から、仕事をしろ、仕事をしろと、親爺に叱られて育ってきたものだ。」と、夜中の一時頃に起きて仕事にかゝる、製麺屋の玉田は、幼時のことを考えていた。「しかし、俺等は、身体ぐち売られやしなかった!」
 工人の多くは田舎の百姓上りだ。それが、百姓をやめて工人となっていた。百姓は、工人よりも、もっとみじめだった。
 百姓は、各国の帝国主義に尻押しをされて、絶えまなく小競合《こぜりあい》を繰りかえす軍閥の苛斂誅求《かれんちゅうきゅう》と、土匪や、敗残兵の掠奪に、いくら耕しても、いくら家畜をみずかっても、自分の所得となるものは、何一ツなかった。旱魃《かんばつ》があった。雲霞《うんか》のような蝗虫《いなご》の発生があった。収穫はすべて武器を持った者に取りあげられてしまった。
 ある者は、土地も、家も、家畜も売り払って、東三省へ移住した。多くの者が移住した。――その移住の途中で、行軍する暴兵に掴まって、僅かの路銀を取りあげられた。そして、それから向うへは行けなくなった。そんな者が工人として這入りこんでいた。
 ある者は、家族を村に残して出稼《でかせぎ》に来ていた。残っている家族は、樹の根をかじったり、草葉を喰ったりしていた。石の粉を食って死ぬ者もあった。
「あの、俺の町の、場末の煤煙だらけの家に残っているおッ母アも、手袋を縫って、やっと、おまんまを食っているんだ。」と、のんきな、馬鹿者の高取も、しみじみした気持になった。
「……こうっと、六十三歳にもなっていたかな。……もう、皺だらけのおッ母アのところへ遊びに来る助平爺もあるめえ! 誰れも相手にしちゃ呉れめえ! 手袋を縫うだけで、腹いっぱい飯が食えるかな。」
 兵士達は、ここの工人と、自分等の内地に於ける生活とを思い較べた。
 村で、間もなく麦が実ることを思い、すこし、ボケかけた親爺がどうしているかな、――と考える者もあった。
「王洪吉《ワンコウチ》の女房、こないだ、女の子供、産んだ。」
 日本語の分る時以礼は、人のよげな、いくらか顔にしまりがない、落胆した、恨めしげな王を指して、兵士達に話した。
「ふむ、お産をしたんだね。」
 二十人あまりの兵士の視線が、王一人に集中された。王はかくれてしまいたげな、気の弱い表情をした。
「王、ゼニない、女房ゼニない。職長ゼニ呉れない。」
「ふむ、賃銀をよこさないんだね。工場が。」
「王のおッ母ア、上の子供をおんぶして、工場へ泣いて来る。社員、おッ母アと、王とあわせない。」
「ふむ。」
「ゼニやれない、やるゼニない。」
「ふむ。」
「女房、飯、食えない。ちゝ出ない。赤ん坊泣く。」
「ふむ。」
「赤ン坊、六日間、泣き通した。女房、腹がへる。湯ばかりのむ、湯、腹がおきない。眼まいする。十日目、朝、赤ン坊泣かない。起きて見た。赤ン坊、死んでいる。おッ母ア、工場へ飛んできた。それでも巡警、王にあわせない。柵のすきまから、おッ母ァ、話をした。王、なかできいていた。王、家へ帰れない。職長、一歩も、門から出さない。」
「ふむむ!」
 王洪吉には、日本語が分らなかった。しかし、彼は、時以礼が、兵士達に何を話しているか、兵士達と、時以礼の、緊張した表情からそれを看取した。
「――買い取られた子供、もっともっとひどい。」と時以礼はつゞけた。「働く、働く、ゼニ一文も呉れない。髪|剪《つ》めない。手拭買えない。正月、十五銭呉れるだけ。子供、一年、二年、三年働く。いつまでも働く。いつまでも正月に十五銭だけ。いつまでも外へ出られない。三年間、一日もここから出ない者十八人。働くばかり。希望、一ツもない。絶望する。九ツ[#「ツ」は底本では「ッ」]か十の子供、子供なりに、死ぬ方がましと考える。黄燐、ぬすんでのむ。二月、死んだ子供二人。三月、死んだ子供四人。黄燐のむ、腹のなか焼ける。苦るしい。細い、小さい子供の身体、皮と骨だけになって、脚かたかたになっていた……社員、職長笑う。支那人、意気地なし、面《つら》あてに死ぬる。意気地なし……。」
「ふむむ!」
 兵士達は、息がつまりそうに唸った。

     二一

 幹太郎は、工人達と、接触する機会を奪われた。
 受持の浸点作業と、乾燥室から、事務室の計算係にまわされた。彼は帳簿に頸を埋めた。朝から晩まで、ソロバンばかりはじいていた。これは、寛大な処置だったのである。
 親爺は、十日をすぎて、まだ、領事館警察の留置場から出てきなかった。
 ヘロのきれたその肉体は、地獄よりもツラかった。監視巡査の恥じッかゝしと、軽蔑ばかりの中で、恥をかまっていられず、疼《うず》くような呻吟をつゞけていた。
 工場では、幹太郎を、不穏な工人の肩を持つものと睨んだ。支配人も、職長も、古参の社員も、嫌悪した。支那人ならとっくに頸が飛んでいるところだろう。日本人同志で大目に見られた。
 総工会《ソンコンホイ》系の煽動者が、市中に潜入している。それは、単なる噂ではない。事実である。そして工場は内外共に多事だった。
 いつの間にか、外塀や、電柱に、伝単がベタベタ貼りさがされていた。
 漫画の入った伝単が、製粉工場に振りまかれた。
 火柴公司《ホサイコンス》では煽動者の潜入を警戒した。工場の出入は、極度に厳重になった。内部の者を外へ出さないばかりでなかった。外部の者を、一人も内部へ入れなかった。そして、内部と外部との境界線は、武装した兵士と、雇い巡警によって二重に守られた。
「いずれ、俺の頸がとぶのも近いうちのこった!」
 これを口の内で呟くと、幹太郎の表情は淋しげになった。
 彼は、軍隊の到着以来、小山が、気に喰わない工人達に、虱つぶしに、リンチを加えるのを目撃していた。一つは、それは彼にあたっている。
 工人は、ぬれた皮の鞭でしぶきあげられ爪の裏へ針をつき刺されるばかりではなかった。
 ある者は、電話をかけていた。と、そのうしろから、ふいに送話器の喇叭状の金具をめがけて、急激に、ドシンと突きつけられた。壁の電話がガチャンと鳴った。鼻が送話器にお多福饅頭のようにはまった。顔の中央は、鼻梁が真中から折れて、喇叭の型に円く窪んでしまった。血の玉がたらたら垂れた。ある者は、十字架に釘づけにされるように、脚を宙に浮かして、アカシヤの幹から枝にかけて縛りつけられた。
「私、生意気者で、油売り、横着者で、悪者で……これが見せしめ……これが見せしめ……。」
 アカシヤに縛りつけられた工人は、枝にぶらさがったまま、一千回繰りかえさせられた。うらなりのトマトのような少年工が、その樹の下で、回数をかぞえた。繩が四肢や胴体に喰いこんでいる。もがけば、
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