た。実際、誰かが戸を叩いていたのだ。
母が咳払いをした。そして、ぼそ/\起きて、戸口へ行くのを彼は感じた。戸は、また叩かれた。
支那人が立っているようだった。母は、誰であるか、疑念と同時に用心しい/\細目にあけてのぞいた。それからぴしゃりと閉して帰ってきた。
「今頃、電報が来たが。」
「誰からです?」幹太郎は半身を起した。
「さあ、……一寸見ておくれ。」
彼は、頭の上にスイッチをひねった。母が寝巻で、そう寒くはない筈だのに慄えていた。
「今頃に何だろう?」
『スズサン、リヨウジカンケイサツニコウリユウセラル、ドナタカスグゴライセイヲコウ――ハナカワヤ』
「おや、すゞがあげられた。」
母は、ばたりと畳の上にへたばった。子守台の上で寝ていた一郎が、物音に驚いて頭を動かした。
「今日、やっぱし日光丸で着いたんだな。上陸ししなに税関で見つかったんだ。」
母はカメレオンのように、真ッ蒼になってしまった。
「あんまり、さい/\持って来さすせに、税関で顔を見覚えられとったんだよ。こりゃ。」
八
幹太郎が青島《チンタオ》まで出むいて行かなけりゃならなかった。彼はすゞの身を案じた。ここは、膠済鉄路が青島から西に向ってのび、津浦《しんぽ》線と相合して三叉路を形作っている。その要衝に陣取っていた。
幹太郎は、ここから、青島まで、九時間、支那人が唾や手洟をはきちらす不潔な汽車に揺られなければならなかった。
彼は家を出た。支那の汽車ほどのんきな、あてにならない汽車はない。三時間や五時間は駅で無駄につぶす気でなけりゃ、汽車に乗れなかった。
彼は、支配人が、しょっちゅう、大々的に、硬派と軟派と兼ねて禁制品を扱いながら、一度もあげられたためしがないのを知っていた。支配人は、彼の親爺や、彼の妹が持ちこむ量の、二十倍も、三十倍も、五十倍もの数量を平気の皮で取り寄せていた。そして、大手を振って歩いている。それだのに、貧弱な親爺や妹は、たった一封度か二封度を持ってきて、あげられる。留置場に拘留される!
領事館は金持ばかりをかばった。金のない細々と商売している奴ばかりが、やかましい規則の制裁を受けた。こんなところでも、やはり、より多く腐った奴等がより多くうまいことをやっているのだ。
彼は太馬路《タマロ》通りへ出た。駅前の処刑場へ引っぱって行かれる土匪が、保安隊士に守られて、蠅のように群がる群衆や丸腰の兵士に俥上から口ぎたない罵声をあびせつつ通りかかった。三人だった。
騎馬士官と、丸腰の兵士たちが、街上になだれる群衆を制して道をあけた。苦力も、乞食も、独逸人も、日本人も街上に波をなしていた。
「煙草だアい! 煙草だアい!」
デボチンの色の黒い眼がくり/\した一人の土匪は、両手をうしろへ廻されて、項《うなじ》に吊すように、ふん縛られ、足は大きな足枷《あしかせ》で錠をかけられていながら、真中の洋車《ヤンチョ》にふんぞりかえって、俥夫と、保安隊士を等分に呶鳴りつけていた。
どす黒い俥夫は、煙草屋の主人が喜捨した哈達門《ハタメン》(紙巻の名称)を一本ぬいてくわえさした。デボチンは、それを噛んではき出してしまった。
「こんな安煙草がなんだい! 馬鹿! 砲台牌《ポータイパイ》をよこせ!砲台牌だ! 砲台牌だ!」
俥夫は暫らくまごついた。
「砲台牌をよこせい! 砲台牌だい! 砲台牌だアい! 馬鹿!」
一番さきの囚徒は真蒼に頭を垂れ、打ち凋《しお》れていた。三番目の男は、肘の関節を逆に、ねじ折れそうに縛り上げられたまゝ、俥上で、口からこぼれるほど酒をあおって、ぐでんぐでんに酔っぱらっていた。これが軍曹だろう。
囚徒は、刑場へ引いて行かれる途中で目につく店舗のあらゆる品物を欲するがまゝに要求した。舗子《プーズ》の主人は、やったものから代金は取れなかった。役人は、囚徒が食い飲んだものゝ金は払わなかった。しかし、どんな業慾《ごうよく》なおやじ[#「おやじ」に傍点]でも、一時間か二時間の後に地獄の門をくゞる囚徒の要求は拒絶しなかった。
土匪は遉《さす》がに、あの世へ持って行けない金銀の器物はほしがらなかった。ひたすら、酒か、菓子か、果実か、煙草を要求した。露天店の、たった一箇二銭か三銭の山梨を、うまそうに頬張らして貰うしおらしい奴もあった。
見物の群集は、俥が進むに従って数を加えた。馬の糞やゴミでほこりっぽい、広い道にいっぱいになってあとにつづいた。
駅前の広場には、また別の、もっと/\数多い真黒な群集の山が待ちかまえて、うごめいていた。
そこには、刑場らしい、かまえも、竹矢来も、何もなかった。しかし、そこへ近づくと、土匪の表情は、さっと変ってこわばってしまった。唸くような、おがむような、低い、聞きとれない叫びが俥上からひびいた。足の鉄錠が
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