下げて来てやろうか。」と、山崎は、中津を見た。「俺等が貰うんならわけなしだよ。」山崎の声のひゞきには、それを現わそうとしているところがあった。幹太郎は、それを感じた。こんな時こそ、山崎を利用しなけゃ損だ、と思った。
「どうだ、情報料はなしで、只でやってやるよ。」
 そして、又、山崎は中津を見た。中津は、掴みどころのない微笑を、その鬚だらけの顔に浮べていた。幹太郎は、山崎が、いつかの冗談への応酬をしていると感じながら、殊更、気づかぬ振りをしていた。
 その時、群集の間に、激しい歓喜の動揺が起った。囚徒の頭と背とを支えていた二人の地方《ティフォン》は、頭から腕に、いっぱい熱い鮮血をあびていた。首のない屍体は、ガクッと前につんのめった。吹き出る血潮は、心臓の鼓動の弱るがままに、小きざみになって行った。
「うわあ! うわあ!」頸が落ちると群集はわめきたてた。「うわあ! うわあ!」
 拍手して喜ぶものもあった。これは、日本人には、解《げ》せない感情だ。
 三四分の後、三人は、悄《しょ》げかえっていた奴も、酔っぱらいも、頸が落ちるまで包子を要求してついに与えられなかったデボチンも、同じような姿勢で空骸となって横たわっていた。
 取りまく群集の間からは、纏足の黒い女房がちょか/\と走り出た。二三人も走り出た。男もまじっていた。それからはにや/\笑いながら、皮をむいた饅頭を、長い箸のさきに突きさして持っていた。士官と兵士達が去りかけた頃である。死体に近づくと、彼女達は斬られて縮少した切り口に、あわてて、その皮むきの饅頭を押しあてた。饅頭には餡が這入っていなかった。それは見る/\流出する血を吸い取って、ゆでた伊勢蝦《いせえび》のように紅くなった。
「やってる、やってる。」と山崎は笑った。「いつまでたっても支那人は、迷信のこりかたまりなんだからな。」
 中津はあたりまえだよ、というような顔をした。
「張大人だって、ちょい/\あいつを食ってるんだぞ。」
「第十何夫人連中も喰うかね?」
「勿論、食うさ。あいつが無病息災の薬だちゅうんだから。」
「張大人は野蛮だからよ……さぞ、内地の人間が見たら、おったまげるこったろうな。」
 群集はなお笑ったり、さゞめいたりしていた。彼等は、三人の人間が殺されたと感じてもいないようだった。犬か猫かが殺されたとさえ感じないようだ。幹太郎は、そう感じた。それは
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