だし、あいつはあいつで生意気だし、役に立たんが、ただ、あれのおふくろが気の毒でね……」

     七

 黄風《ホワンフォン》が電線に吠えた。
 この蒙古方面から疾駆して来る風は、立木をも、砂土をも、家屋をも、その渦のような速力の中に捲きこんで、捲き上げ、捲き散らかす如く感じられた。太陽は、青白くなった。人間は、地上から、天までの土煙の中で、自分の無力と、ちっぽけさに、ひし/\とちゞこまった。彼等は、いろ/\なことを考えた。
 支那、支那、何事か行われているが、収拾しきれない支那!
 ここの生活はのんきなようで、一番苦るしい。つらい!
 人間は、自分の通ってきた、これまでの生活が疵《きず》だらけであることを考えた。――ある者は、それを蔽いかくして生きて行かねばならぬと決心した。ある者は、自分で、自分の為したことにへたばった。
 俊だけは、憂鬱に物を考える人の中で、一人だけ、何も考えず、何も思わず、三歳の一郎をあやして、ふざけていた。
 一郎は、「テンチン」「テエアンチーン」など、支那語の片言をもとりかねる舌で、俊に菓子を求めた。
「一郎は、まるで、トシ子さんそっくりだわ。……それ、その天向きの可愛い鼻だって、眼もとだって、細長い眉だって」俊は嬉しげに笑った。彼女は、去った嫂《あによめ》と一番の仲よしだった。
「天下筋の通っている手相までが、そっくりなんだわよ!」
 俊は、嫂を去《い》なしてしまったことに不服を持っていた。その不服の対照は母だった。母は最初だけ、珍らしい内は、下にも置かないマゼ[#「マゼ」に傍点]方をする。が、暫らくして、アラが見え出すと、それからは、徹底的にクサスのだ。俊は、それが大嫌いだった。
 彼女は、編んでやった一郎の毛糸のドレスの藁ゴミを指頭でツマミ取った。そして、倒れないように、肩を支えて子供を歩かしながら、兄の方へつれて行った。
 母は、工場が引けて帰る幹太郎を待ちかねていた。すゞがいないことは彼女を淋しがらせた。
「何ですか?」
 母の顔はそわ/\していた。
「一寸、油断しとったら、早や、王《ワン》が黙って、『快上快《クワイシャンクワイ》』を、持ち出して売ってるんだよ。」
「ふむ。」
「こないだだって、靴直しに三円持って行って、あれで、一円くらいあまっとる筈だのに自分で取りこんどるんだよ。」
「ま、ま、知らん顔をして黙っときなさい。」
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