なれなかった。
親爺は仕事らしい仕事は殆んど出来なくなっていた。そして親爺の代りは、妹のすゞがした。彼女は、今、三、四|封度《ポンド》を携えてくるために内地に帰って行っていた。
邦人達は、たいてい、この軟派を仕事としている。饅頭屋、土産物商、時計屋、骨董屋などの表看板は、文字通り表看板にすぎなかった。内川は大量を取扱う卸商とすれば、彼等は小商人だった。――そんな商売をやる人間がここには一千人からいた。
竹三郎もその一人だった。
阿片は、苦力や工人達には、あまりに高すぎる。そこで、阿片の代りに、もっと割が安い、利き目が遙かにきつい三号含有物がここでは用いられた。阿片なら、三カ月間、吸いつゞけても、まだ中毒しない、しかし、ヘロインは、十日で、もう顔いろが、病的に変化するのだった。
――これにも主薬と佐薬がある。調合がうまくなければ、売行はよくなかった。そして、その調合法は、それぞれ、自分の秘密として家伝の如く、他人には容易にそれを話さなかった。竹三郎は、いろいろな仕事に失敗して、とうとう、一番、最後の切札に、この三号品を扱い出した。当初、売行が悪いのに、苦るしんだ。何もかも、すべてに失敗しても、彼は内地へは帰れなかった。彼は内地を追われて来たのだ。
いくらでも、めちゃくちゃに金の儲かるボロイ商売のように云われている薬屋でも、やって見れば、やはり、苦労と、骨折がかゝるものだった。
「畜生! 今度は、俺がためしに吸うて見てやる。それくらいなことやらなけゃ、商売はどうしたって、うまくは行かんのだ。」
こんなことを云っていた時には、まだ薬の恐ろしさは、彼にも、妻にも分っていなかった。
「阿呆云わんすな。――中毒したらどうするんじゃ。」――お仙も笑っていた。
「そんな呑気なことを云っちゃいられないぞ。どうしたって俺は、日本へは帰れないんだ!」彼は品物がだんだんに売行きがよくなると、彼の顔色は、古びた梨のように変化した。
麻酔薬は、体内の細胞を侵していた。
彼は、蟻地獄に陥る蟻だった。どんなに、もがいても、あがいても、吸わずにいられなくなっていた。
すゞも、俊も、幹太郎も、内地からここへ来て、まる二年ばかりしか経っていなかった。
すゞは、「快上快」の調合から、原料の補給や、時には、それを裏口から、足音をしのばせて、そッと這入ってくる青い顔の支那人に売ることも為
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