可愛い顔をしている。」
「よし、俺も行って垢を落してきよう。」
「俺も行くよ。」
「俺も行く。」
 彼等は、泥棒をやる時の愉快さを知っていた。靴紐を結ばずに、靴の中へなでこんだ。十四人が、汗のにじんだ手拭をさげ、石鹸は一ツも持たずに、マッチ工場から、貧民窟とは反対側の雑草が青濃く茂っている広場を横ぎった。――チット人数が多すぎるぞ。が、一人をやめさすのなら、十四人がみなやめなければならなかった。赤い屋根の上に、巨大な貯水タンクがのっかっている。そこが製氷公司だ。
 一町あまりも距っていた。
 そこは、蛋粉工場へ行った中隊の方に近かった。門を這入る。ポンプが動いていた。
 ふと、赤煉瓦建ての扉のうちから、将校らしいきれるように冴えた音声が呶鳴った。顔見知りの一等卒が、蛸《たこ》をゆでたように、真赤になって、似指《ちんぼこ》を振りだしのまゝとび出してきた。猫をつまむように、軍衣袴《ぐんいこ》と、襦袢|袴下《こした》をつまんでいた。
「何中隊のやつだッ!」扉の中から、きれるような声がひびいた。「人の迷惑も考えないのか! 今ごろから、早や、人の家に厄介をかける奴があるかッ!」
 語尾が、カンカンあがった。
「どうしたんでえ?」
 連隊中の顔を知らない者はない高取は、のんきげに、素裸体《すっぱだか》の一等卒にきいた。
「旅団副官だ。」
「副官が、どうしたちゅうんでえ?」
 十四人は、扉の前で立止った。何だろう?
 扉は、内から、ぐいと押しあけられた。
 副官章を肩からはすかいにかけた、目立って鼻すじの通った貴族的な、中尉の顔が、兵士達の前に立ちはだかった。
 副官は、剣吊りボタンをはずして、ぞろぞろ押しよせた十四人を、いぶかし気に睨みまわした――何ごとだ。何でこんな厚かましい奴らが大勢やってきたんだろう!
「閣下がおいでになるんだ! 帰れ! 帰れ!」
 彼はきれるような声を出した。
「不埒《ふらち》な奴め! 帰れ! 帰れッ!」
 十四人は冴えた音声に斬りつけられた。
「チェッ!」
 高取はあっけにとられた。渡し場で舟に乗ることを拒まれた旅人のように、眼のさきの風呂場を、残念げに眺めた。そして、通ってきた雑草の広場を眺めかえした。
「チェッ! どうしたんでえ?」彼は口のうちで呟《つぶや》いた。
「くそッ! 誰だって人間なら、汗や垢が、ぬるぬるして気持が悪いなァ同じこった! チッ
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