も、石をこすっても火が出るんだよ。」作業場へはいっていた三人が、珍らしげに黄色い、小さい函のマッチを一ツずつ持って帰ってきた。松岡と、本岡と、玉田だ。
三人は、柱や、床板をこすって、火をつけた。
「これゃ、内地のマッチとは異うよ。」
「俺等、子供の時に、ちょっと、そんなマッチを見たことがあるような気がするがな。ボスって云うんだ。」
と那須が沈んだ顔をしていた。
「これ黄燐マッチ、――と、そこの支那人が云っているんだよ。ちょっと、日本語の片ことが云えるんだ。」製麺工場の、まだ、ウドン粉くさい玉田が云った。「――これ、大いに毒ある。外国の工場作らせない。私ら、身体、すぐ悪くなる。この薬、悪い、大いに毒ある、悪い、こいつは、……この黄燐マッチは、有毒だし、すぐ火事を起すから、どこの国でも禁止しているんだよ。それを、ここじゃ作っているんだ。」
「これ、大いに毒ある。人、死ぬる。」と玉田は、支那人の言葉の真似をつゞけた。「鉄道もない、劇薬もない、田舎、これ、自殺にのむ。男と、女、夫婦、喧嘩をする。※[#「女+息」、第4水準2−5−70]婦《シーフ》(妻)死にたくなる、これ、この軸木のさきの薬、けずり取ってのむ。この函に十函ぶんのむ。死ぬる。日本、ネコイラズ、中国黄燐マッチ……」
「ふむむ、……それだけ日本語が分りゃ、話が出来るじゃないか。」高取があたりかまわぬ声を出した。
「その支那人を、ここへつれてこんか、話してやろうぜ。面白いじゃないか。」
一九
昼につゞく夜の勤務があった。
夜につゞく昼の勤務があった。ねるひまもない。
兵士達は、汗と垢でドロドロになった。水がない。あっても、極《ご》く僅かしかない。濁って、生《なま》でのめるようなしろものじゃなかった。のんだら、胃と腸が、雷のように鳴り出すだろう。
彼らは長いこと入浴しなかった。七日間、いや、もう十五日以上。
内地を出発する前日に、炊事場の隣の入浴場で、汗とホコリを流した。それきりだ。
窓のない、支那風の暗い寄宿舎には、男ばかりのくさい息がこもった。連日の勤務、不自由と、過労と、苦るしみによって、工場は守られている。それからひいて、この物資の豊かな山東地方をブルジョアジーは、わが物に確保しようとたくらんでいる。兵士たちは、内地で、自分を搾取するブルジョアジーの利益のために、支那へ来ても、苛《
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