食も、監督の鞭とピストルに恐れなくなった。銃と剣を持った巡警は、案山子《かゝし》だ。
工場主は、(どの工場でも)僅かに賃銀不払いの戦術を持続することによって、工人達をつなぎとめていた。それが、やっとだった。工人達は怠業状態に這入った。
便衣隊と前後して、共産党員が市内にもぐりこんだ。――という風説がやかましくなった。工人に武器を配附して暴動を企てゝいるといううわさが立った。
工場主が勝手にきめた規則も、命令も、テンデ問題にされなかった。
工人達には、こういう時こそ、彼等の偉力を発揮するのに、好都合な条件がひとりでに備わってくる。そう感じられた。
マッチ工場の工人達は、もう怺《こら》えられるだけ怺えた。辛抱が出来る範囲以上に辛抱した。
ある夕方、五人の代表者があげられた。給料の即時、全額支払を要求した。
王洪吉《ワンコウチ》もその代表者となった。頭の下げっぷりの悪い、ひねくれた于立嶺《ユイリソン》も代表者となった。王はお産をした妻からも、老母からも、その後、便りがなかった。
便りがないことは、なおさら彼を不安にした。
工人達は長いこと、馬鹿にせられ踏みつけられた。
幾人か、幾十人かが最も猛烈な黄燐の毒を受けて、下顎を腐らしてしまった。
七ツか八ツの幼年工は一年たらずのうちに軟らかい肉体を腐らしてしまった。
そして、給料だけで、おっぽり出された。
十元か八元で、売買人から買い取られた子供は、給料さえ取れなかった。
彼等は働いた。
働いて、親をも妻をもかつえさせなければならなかった。
彼等は、去勢された牡牛のように、鞭を恐れた。
だが、いつまでも鞭を恐れることは、永久に奴隷となることだ。
親の家を恋しがっていた少年工は、一文の給料も取らないまゝ、ある夜、暗に乗じて逃走した。永久に買い取られてしまった子供は、逃げて行く家も、何もなかった。寄宿舎の方で涙ぐんで淋しげに黙っていた。
王洪吉ら五人は、夕方、おずおずと、事務所へ這入った。
給料はどうでもこうでも取らなけゃならなかった。それは当然だ!
会計係の岩井と、社員の小山は「何だい!」と頭から拒絶した。彼等は、はげしい喰ってかゝりあいを演じた。支配人は、工人が給料に未練を残して、逃亡もしない。受取るまでは、諂《へつら》うように仕事に精を出す。――平生の見方をかえなかった。
支那人は、
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