茸の時期だけ傭われていた。卯太郎《うたろう》という老人だ。彼自身も、自分の所有地は、S町の方に田が二段歩あるだけだった。ほかはすべてトシエの家の小作をしている。貧乏人にちがいなかった。そいつが、人を罵る時は、いつも、「貧乏たれ[#「たれ」に傍点]」という言葉を使った。
「貧乏たれ[#「たれ」に傍点]に限って、ちき生! 手くせが悪れぇや、チェッ!」
 卯太郎は唾を吐いた。礫《つぶて》を拾って、そこらの笹の繁みへ、ねらいもきめずに投げつけた。石はカチンと松の幹にぶつかって、反射してほかへはねとんだ。泥棒をする、そのことが、本当に、彼には、腹が立つものゝようだった。
 番人が、番人小屋の方へ行ってしまうと、僕等は、どこからか、一人ずつヒョッコリと現われて来た。鹿太郎や、丑松や、虎吉が一緒になった。お互いに、顔を見合って、くッ/\と笑った。
「もう一ッペン、あの卯《う》をおこらしてやろうか。」
「うむ。」
「いっそ、この縄をそッと切っといてやろうよ。面白いじゃないか。」
「おゝ、やったろう、やったろう。」

      二

 七年して、トシエは、虹吉の妻となった。虹吉は、二十三だった。弟の僕は、十六だった。春のことである。
 地主の娘と、小作兼自作農の伜との結婚は、家と家とが、つり合わなかった。トシエ自身も、虹吉の妻とはなっても、僕の家《うち》の嫁となることは望んでいなかった。
 が、彼女は変調を来した生理的条件に、すべてを余儀なくされていた。
「やちもないことをしてくさって、虹吉の阿呆めが!」
 母は兄の前では一言の文句もよく言わずに、かげで息子の不品行を責めた。僕は、
「早よ、ほかで嫁を貰うてやらんせんにゃ。」
 母と、母の姉にあたる伯母が来あわしている縁側で[#「縁側で」は底本では「椽側で」]云った。
「われも、子供のくせに、猪口才《ちよこざい》げなことを云うじゃないか。」いまだに『鉄砲のたま』をよく呉れる伯母は笑った。「二十三やかいで嫁を取るんは、まだ早すぎる。虹吉は、去年あたりから、やっと四斗俵がかつげるようになったばッかしじゃもん。」
 僕は、猪口才げなと云われたのが不服でならなかった。
 伯母の夫は、足駄をはいて、両手に一俵ずつ四斗俵を鷲掴みにさげて歩いたり、肩の上へ同時に三俵の米俵をのっけて、河にかけられた細い、ひわ/\する板橋を渡ったりする力持ちだった。その伯父が、男は、嫁を取ると、もうそれからは力が増して来ない。角力とりでも、嫁を持つとそれから角力が落ちる。そんなことをよく云っていた。
 十六の僕から見ると、二十三の兄は、すっかり、おとな[#「おとな」に傍点]となってしまっていた。
 兄は高等小学を出たゞけで、それ以外、何の勉強もしていなかった。それでも、彼と同じ年恰好の者のうちでは、誰れにも負けず、物事をよく知っていた。農林学校を出た者よりも。それが、僕をして、兄を尊敬さすのに十分だった。虹吉は、健康に、団栗林の中の一本の黒松のように、すく/\と生い育っていた。彼は、一人前の男となっていた。
 村には娘達がS町やK市へ吸い取られるように、次々に家を出て、丁度いゝ年恰好の女は二三人しかいなかった。町へ出た娘の中に虹吉が真面目に妻としたいと思った女が、一人か二人はあったかもしれない。しかし、町へ行った娘は、二年と経たないうちに、今度は青黄色い、へすばった梨のようになって咳をしながら帰って来た。そして、半年もすると血を吐いて死んだ。
 そのあとから、又、別の娘が咳をしながら帰って来た。そして、又、半年か、一年ぶら/\して死んだ。脚がぶくぶくにはれて、向う脛《ずね》を指で押すと、ポコンと引っこんで、歩けない娘も帰って来た。病気とならない娘は、なか/\町から帰らなかった。
 そして、一年、一年、あとから生長して来る彼女達の妹や従妹は、やはり町をさして出て行った。萎《しな》びた梨のように水々しさがなくなったり、脚がはれたりするのを恐れてはいられなかった。
 若い男も、ぼつ/\出て行った。金を儲けようとして。華やかな生活をしようとして。
 村は、色気も艶気《つやけ》もなくなってしまった。
 そして、村で、メリンスの花模様が歩くのは「伊三郎」のトシエか、「徳右衛門」のいしえ[#「いしえ」に傍点]か、町へ出ずにすむ、田地持ちの娘に相場がきまってしまった。
 村は、そういう状態になっていた。
 メリヤス工場の職工募集員は、うるさく、若者や娘のある家々を歩きまわっていた。

      三

 トシエは、家へ来た翌日から悪阻《つわり》で苦るしんだ。蛙が、夜がな夜ッぴて水田でやかましく鳴き騒いでいた。夏が近づいていた。
 黄金色の皮に、青味がさして来るまで樹にならしてある夏蜜柑をトシエは親元からちぎって来た。歯が浮いて、酢ッぱい汁が歯
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