反戦文学論
黒島伝治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)戦争を誡《いまし》め
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一時間四|仙《セント》の
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]
/\:二重の繰り返し記号
(例)いろ/\な種類が
×:伏せ字
(例)帝国主義××である。
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一、反戦文学の階級性
一
戦争には、いろ/\な種類がある。侵略的征服的戦争がある。防禦戦がある。又、民族解放戦争、革命も、そこにはある。
戦争反対の文学は、かなり昔から存在して居るが、ブルジョアジーの戦争反対文学と、現代プロレタリアートの戦争反対文学とは、原則的に異ったものを持っている。戦争反対の意図を以て書かれたものは、古代ヘブライの予言者マイカのものゝ中にもある。民族間の戦争を誡《いまし》め、平和を説いたものであるが、文字に書かれた、恐らく最古のものであろう。旧約にはいっている。しかし、そういう昔のことにまでかゝずらっているヒマがない。近代文学には、明かに、戦争反対の意図を以て書かれたものを相当拾い上げることが出来る。それらは、一般的に戦争に反対している。戦争は悲惨である。戦争は不愉快で、戦争のために、多数の人間が生命を落さなければならない。そこで、戦争に反対している。
プロレタリアートは、戦争に反対する、その反対の仕方に於て、一般的な態度はとらない。吾々は一般的に、戦争に反対するのではない。或る場合には、悲惨をも、残酷をも、人類の進歩のために肯定するプロレタリアートが徹底的にどこまでも反対するのは、帝国主義××である。即ち、××的、××的戦争に反対するのである。
二
ブルジョアジーの戦争反対文学は、多く、個人主義的、或は、人道主義的根拠から出発している。そこに描かれているものは、個人の苦痛、数多の犠牲、戦争の悲惨、それから、是等に反対する個人の気持や、人道的精神等である。
手近かな例を二三挙げてみる。
田山花袋の「一兵卒」は、日露戦争に、満洲で脚気のために入院した兵卒が、病院の不潔、不衛生粗食に堪えかねて、少しよくなったのを機会に、病院を出て、自分の所属部隊のあとを追うて行く。重い脚を引きずって、銃や背嚢を持って終日歩き、ついに、兵站部の酒保の二階――たしかそうだったと思っている――で脚気衝心で死ぬ。そういうことが書いてある。こゝでは、戦争に対する嫌悪、恐怖、軍隊生活が個人を束縛し、ひどく残酷なものである、というようなことが、強調されている。家庭での、平和な生活はのぞましいものである。戦場は、「一兵卒」の場合では、大なる牢獄である。人間は、一度そこへ這入ると、いかにもがいても、あせっても、その大なる牢獄から脱することが出来ない。――こゝに、自然主義の消極的世界観がチラッと顔をのぞけている。
戦争は悪い。それは、戦争が人間を殺し、人間に、人間らしい生活をさせないからである。そこでは、人間である個人の生活がなくなってしまう。常に死に対する不安と恐怖におびやかされつゞけなければならない。だから戦争は、悪く、戦争は、いやな、嫌悪さるべきものである。
これは、個人主義的な立場からの一般的戦争反対である。所謂、自我に目ざめたブルジョアジーの世界観から来ている。この傾向をもっとはっきり表現しているのは、与謝野晶子の新体詩である。それは、明治三十七年、十月頃の「明星」に出た。題は、「君死にたまふことなかれ」という。弟が旅順口包囲軍に加わって戦争に出たのを歎いて歌ったものである。同氏のほかの短歌や詩は、恋だとか、何だとかをヒネくって、技巧を弄し、吾々は一体虫が好かんものである。吾々には、ひとつもふれてきない。が、「君死にたまふことなかれ」という詩だけは、七五調の古い新体詩の形に束縛されつゝもさすがに肉親に関係することであるだけ、真情があふれている。
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旅順の城はほろぶとも
ほろびずとても何事か
君知るべきやあきびとの
家のおきてになかりけり
君死にたまふことなかれ
××××××は戦ひに
××××からは出でまさね
かたみに人の血を流し
獣《けもの》の道に死ねよとは
死ぬるを人のほまれとは
[#ここで字下げ終わり]
勝手に数行を引いたのであるが、××は筆者がした。××にしなければ、今日では恐らく発禁ものであろう。[#引用部分伏せ字の原文は、それぞれ「すめらみこと」と「おほみづ」]
当時、大町桂月が、この詩が危険思想であるというので非難した。国を挙げて戦争に熱狂していた頃である。戦争反対を声明したのは、僅かに平民新聞だけであった時代である。作者は、桂月の非難に弁解して、歌は歌であって、自分の心のまことを、そのまゝ吐露したものである。――そういう風に云った。戦争に行く息子を親が新橋まで見送って、「達者で気をつけて無事で行って来い!」と別れの言葉を云う。その気持と同じ気持を歌ったものである、と。
この詩は、全然個人的な気持から戦争に反対している。生活の中心がすべて個人にあった。だから最も恐ろしいのは、死である。殺し、殺されることである。
人道主義になると、五十歩百歩ではあるが、いくらか考え方が広汎になり、戦争の原因を追求しようとする慾求が見えて居る。中途半ぱな、生ぬるいところで終ってしまっては居るが。
武者小路実篤の「或る青年の夢」は、欧洲大戦当時に出た。これは、人道主義の戦争反対である。
この場合に於ても、死の恐怖、人間が、人間らしい生活が出来ない悲惨を強調している。ところがこゝでは個人よりも人類が主として問題になっている。戦争は、他国の文明を破壊し、他国を自国の属国にしようとするところから起って来る。他国を属国とし、他国を征服すれば得をすると考える利己主義者があるから起って来るのだ。けれども、その利己主義が誰れであるか、それは考えていない。戦争をなくするには、人間が国家の立場で物を見ずに、人類の立場から物を見ることである。他国の文明をはなれては自国の文明が真の意味では存在出来ないというのが人類の意志である。人々は、人類の意志を尊重することを知らないからいかんのだ。人類の意志を無視する所から戦争は起る。国家主義が人類の意志に背く所に戦争は起る。これが「或る青年の夢」を貫く中心思想である。すべてが人類である。人類は、万物の霊長でほかの動物とは、種を異にする特別のものゝようである。
三
ブルジョアジーは、眼前の悲惨や恐怖から戦争に反対はしても、決して徹底的に戦争を絶滅することは考えてはいない。若し考えてもそれは生ぬるい中途半ぱなものであって、結局に於ては反動的な役割をしかなさない。理想主義か或は現状維持の平和主義である。そこで、ブルジョアジーは戦争反対の文学に於ても、明かに、その階級性を曝露している。
欧洲近代文学に於ても、戦争に反対しているものは、なかなかの数に上る。大体、その名前だけを挙げて、プロレタリアートの反戦文学に移りたい。
ジャン・ジャック・ルソオ――「恒久平和の企図」
エミイル・ヴェルハアレン――「黎明」(この戯曲に於て、ベルギイの詩人は人類社会の甦生の希望を述べている。オビドマアニュの市街が敵軍に包囲され、そのうちに、攻防両軍の革命家が叛乱を起したため、ついに戦いが終了するのである。)
レオ・トルストイ――「セバストポール」「戦争と平和」「想いおこせ」等
フセオロド・ガルシン――「卑怯者」「愚かなイワノフの覚書」「四日間」
レオニイド・アンドレーエフ――「赤き笑」
それから仏蘭西の小説家ギイド・モウパッサン、ジョセフ・アンリ・ロスニイ、人道主義者ロマン・ロオラン、英吉利の戯曲家、バナアド・ショウ、アメリカの詩人、ホイットマン、等も、或は激烈或は皮肉、或は悲痛な調子で戦争に反対している。
独逸の表現派になると、世界大戦後に発生したものだけあって、戦争反対のものがなか/\多い。
ハアゼンクェフェル――「アンティゴオネ」(希臘劇を改作したものであるが、彼はこれを大戦に結びつけ、タレオンを、前の独逸皇帝ウィルヘルム二世に擬し、戦争のために寡婦となったもの、孤児となったもの、不具となったものをして王に向って飢餓と傷痍を訴えさせ、「将軍を市場に晒せ」と絶叫せしめている。)
フランツ・ウェルフェル――「トロヤの女」(戦敗者の悲惨と戦勝者の残酷とを愁訴したものである。)
エルンスト・トルレル――「独逸男ヒンケルマン」「変転」(独逸男ヒンケルマンは戦争で睾丸を失った男の悲痛な生活を書いたものであるが、多分に人道的である。)
ラインハルト・ゲエリング――「海戦」(海戦の中の第五の水兵は叛乱の志を持っている。)
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第五水兵。俺たちは何のために今戦っているんだ。
第一水兵。海上を自由にするためだ。
第五水兵。じゃ、そのために母親はお前を養ったんだな、じゃ、それがお前の魂の意味なんだな。そのためにお前の身体は大きくなったんだな。
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(中略)
声々。祖国、祖国、何をまた俺達から欲しいんだ。祖国、祖国、死が俺たちを氷のように貪り食べる。俺たちが此処に斃れるのを見て呉れ、祖国。俺たちに死を与えろ、死を、死を、死を与えろ、死を。
(爆発。第一、第四、第五水兵はもぎ取られた瓦斯除けマスクをつけて死にながら横たわる)
[#ここで字下げ終わり]
表現派は、主観主義である。だから、ゲエリングは、反戦的ではありながら、本当に書こうとしていることは、人類全体の上に蔽いかゝっている運命の力との関係であるようだ。この意味から云えば「海戦」は一種の運命悲劇である。
フリッツ・フォン・ウンルウ。――ウンルウの初期の作、つまり欧洲大戦以前に書いた、「士官」(一九一二)「プロシャ王子ルイ・フェルディナント」(一九一四)には、彼が属している階級のイデオロギーを極めてはっきり反映して居った。彼は、貴族出の軍人で所謂独逸精神――理想主義的な観念が基調になっている――を持った男であった。だから作品の中には、抽象的な観念ばかりが出ている。それが、大戦にドイツ皇太子の副官として出征した。そこで彼は戦争の惨禍を見た。それが彼の観念を大きく、深く、拡めると共に、明確な一定の方向を与えた。平和論者になり、人類愛主義者になった。そこで、彼は、塹濠の中で「決定の前に」という詩を書いた。ヴェルダンの要塞戦については、それからして、「犠牲の道」という悲壮な憤激の物語を書いた。これは、偶然にも、アンリ・バルビュスの「クラルテ」と同年(一九一九年)に発表された。
表現派は、多く、戦争に反対し、その悲惨、その暴虐を呪咀し、絶叫してはいるが、唯心論的で、たゞ、主観的な強調に終始している。ブルジョア作家の戦争反対はこれ位いにして、プロレタリア文学に移ってみる。
四
アンリ・バルビュスの「クラルテ」も欧洲大戦から生れた、反軍国主義文学である。この小説は、はじめの方はだらだらしていて読みづらい。バルビュスは、戦争の惨禍を呪咀するばかりでなく、戦争の責任者に対して嫌悪を投げつけ、インタナショナルの精神を高揚している。「そこで君達は、祖国の武装を解かせねばならないのだ。そして、祖国観念を極度に収縮放棄して、重大なる社会観念を持たなければならないのだ。君達は、軍閥的国境を湮滅《いんめつ》しそれよりもっと悪い経済的商業的障碍を取り除かねばならないのだ。保護貿易主義は、労働の発達の中へ暴力を導引《みちび》き入れるものであり致命的な軍国主義の狂態を齎らすものなのだ。君達は、各国家の間では正当なことゝ云われ、各個人の間では『殺人』『窃盗』『不正競争』と呼ばれているところのものを廃滅しなければならないのだ。これ等のものを取除くのは、特に[#「特に」は底本では「持に」]君達でなければならないのだ。何故なら、それらのことをやるのは君
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