ぽい長い湿った石のほこりは、長くのばした髪や、眉、まつげにいっぱいまぶれついていた。
 汚れた一枚のシャツの背には、地図のように汗がにじんでいた。そして、その地図の区域は次第に拡大した。
「さ、這入ったよ。」
 タエは、鉱車《トロ》を押し出す手ご[#「手ご」に傍点]をした。
 それは六分目ほどしか這入っていなかった。市三は、枕木を踏んばりだした。背後には、井村が、薄暗いカンテラの光の中に鑿岩機をはずし、ハッパ袋をあけていた。
 井村は、飴ン棒のようなハッパを横にくわえ、ミチビを雷管にさしこむと、それをくわえているハッパにさしこんだ。
「おい、おい、女《にょ》ゴ衆、ドンと行くぞ。」
「タエの尻さ、大穴もう一ツあけるべ。」
 婆さんがうしろで冷かしていた。
 市三は、岩の破れ目から水滴《しずく》が雨だれのようにしたゝっているところを全力で通りぬけた。
 あとから女達が闇の中を早足に追いついて来た。暫らく、市三の脇から鉱車《トロ》を押す手ごをしたが、やがて、左側の支坑へそれてしまった。
 竪坑の電球が、茶色に薄ぼんやりと、向うに見えた。そして、四五人の人声が伝って来た。
「誰れだい、たったこれっぽちしか入れてねえんは。」市三が、さきに押して来てあった鉱車《トロ》を指さして、役員の阿見が、まつ毛の濃い奥目で、そこら中を睨めまわしていた。「いくら少ないとてケージは、やっぱし一ツ分占領するんだぞ。」
 ほかの者は、互いに顔を見合っていた。市三は、さきの鉱車《トロ》よりも、もっと這入り方が少ない今度のやつを役員の眼前にさらすのは、罪をあばかれるように辛かった。鉱車《トロ》ごと、あとへ引っかえしたかった。しかし、うしろからは、導火線に点火し終った井村がカンテラをさげ、早足に、しかもゆったりとやって来た。――そのカンテラがチラ/\見えた。それは、途中で、支坑へそれた。
 市三は、ケージから四五間も手前で鉱車《トロ》を止めた。そして、きまり悪るげにおど/\していた。
「あンちき生、課長や、山長さんにゃおべっかばっかしこけやがって!」
 阿見がケージをたゞ一人で占領して上へあがると、びっこの爺さんが笑い出した。
 市三は、罪人のようにいつまでも暗いところで小さく悄《しょ》げこんでいた。
「何だい、おじ/\すんなよ。」
「うむ。」
「あいつはえらばってみたいんだ。何だい、あんな奴が。」
 
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