渡されたものゝ如く。
 物価は、鰻のぼりにのぼった。新しい巨大な器械が据えつけられた。選鉱場にも、製煉所にも。又、坑内にも。そして、銅は高価の絶頂にあった。彼等は、祖父の時代と同様に、黙々として居残り仕事をつゞけていた。
 大正×年九月、A鉱山では、四千名の坑夫が罷業を決行した。女房たちは群をなして、遠く、東京のT男爵邸前に押しよせた。K鉱山でもJ鉱山でも、卑屈にペコ/\頭を下げることをやめて、坑夫は、タガネと槌を鉱山主に向って振りあげた。アメリカでも、イギリスでも坑夫は蹶起《けっき》しつゝあった。全世界に於て、プロレタリアートが、両手を合わすことをやめて、それを拳《こぶし》に握り締めだした。そういう頃だった。
 M――鉱業株式会社のO鉱山にもストライキが勃発《ぼっぱつ》した。
 その頃から、資本家は、労働者を、牛のように、「ボ」とか、「アセ」「ヒカエ」の符号で怒鳴りつける訳にゃ行かなくなった。
 M――も、O鉱山、S鉱山、J鉱山では、昔通りのべラ棒なソロバンが取れなくなってしまった。
 しかし、こゝの鉱山だけは、いつまでも、世界の動きから取残された。重役はこの山間に閉めこまれた、温順な家畜を利用することを忘れなかった。ほかで儲からなくなったその分を、この山間に孤立した鉱山から浮すことを考えた。
 坑夫の門鑑出入がやかましいのは、Mの狡猾な政策から来ていた。
 しかし、いくらやかましく云っても、鉱山だけの生活に満足出来ない者が当然出て来る。その者は、夜ぬけをして都会へ出た。だが、彼等を待っているのは、頭をはねる親方が、稼ぎを捲き上げてしまう、工場の指定宿だった。うまいところがない。転々とする。持って行った一枚の着物まで叩き売ってしまう。そして再び帰って来た。
 そういう者が、毎年二人や三人はあった。井村も流行唄をはやらした一人になった。そういう者が、新しい知識や、新しい話を持って来た。
 女房が選鉱場のベルトに捲かれて、頭と腕をちぎられてしまった。それからヤケを起して方々をとびまわった。武松はO鉱山で普通一ン日三円から四円出している。それを見てきた。彼等は、自分達との差が、あまりにひどいのに眼を丸くした。
「KやAにゃ、すげえ奴が居るぞ。」
 武松は、この鉱山ではすごい方だった。その彼が、たまげた話し方をした。
「役員なんぞ、糞喰えだ。いけすかねえ野郎は、かまうこた
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