書が来た。県立中学に多分合格しているだろうが、若し駄目だったら、私立中学の入学試験を受けるために、成績が分るまで子供は帰らせずに、引きとめている。ということだった。
「もう通らなんだら、私立を受けさしてまで中学へやらいでもえいわやの。家のような貧乏たれに市《まち》の学校へやって、また上から目角《めかど》に取られて等級でもあげられたら困らやの。」と、おきのは源作に云った。
源作は黙っていた。彼も、私立中学へやるのだったら、あまり気がすすまなかった。
五
村役場から、税金の取り立てが来ていたが、丁度二十八日が日曜だったので、二十九日に、源作は、銀行から預金を出して役場へ持って行った。もう昨日か、一昨日かに村の大部分が納めてしまったらしく、他に誰れも行っていなかった。収入役は、金高を読み上げて、二人の書記に算盤《そろばん》をおかしていた。源作は、算盤が一と仕切りすむまで待っていた。
「おい、源作!」
ふと、嗄《しわが》れた、太い、力のある声がした。聞き覚えのある声だった。それは、助役の傍に来て腰掛けている小川という村会議員が云ったのだ。
「はあ。」と、源作は、小川に気がつくと答えた。小川は、自分が村で押しが利く地位にいるのを利用して、貧乏人や、自分の気に食わぬ者を困らして喜んでいる男であった。源作は、頼母子講《たのもしこう》を取った。抵当に、一段二|畝《せ》の畑を書き込んで、其の監査を頼みに、小川のところへ行った時、小川に、抵当が不十分だと云って頑固にはねつけられたことがあった。それ以来、彼は小川を恐れていた。
「源作、一寸、こっちへ来んか。」
源作は、呼ばれるまゝに、恐る/\小川の方へ行った。
「源作、お前は今度息子を中学へやったと云うな。」肥った、眼に角のある、村会議員は太い声で云った。
「はあ、やってみました。」
「わしは、お前に、たってやんなとは云わんが、労働者《はたらきど》が、息子を中学へやるんは良くないぞ。人間は中学やかいへ行っちゃ生意気になるだけで、働かずに、理屈ばっかしこねて、却って村のために悪い。何んせ、働かずにぶら/\して理屈をこねる人間が一番いかん。それに、お前、お前はまだこの村で一戸前も持っとらず、一人前の税金も納めとらんのじゃぞ。子供を学校へやって生意気にするよりや、税金を一人前納めるのが肝心じゃ。その方が国の為めじゃ。」と小川は、ゆっくり言葉を切って、じろりと源作を見た。
源作は、ぴく/\唇を顫わした。何か云おうとしたが、小川にこう云われると、彼が前々から考えていた、自分の金で自分の子供を学校へやるのに、他に容喙《ようかい》されることはないという理由などは全く根拠がないように思われた。
「税金を持って来たんか。」
「はあ、さようで……」
「それそうじゃ。税金を期日までに納めんような者が、お前、息子を中学校へやるとは以ての外じゃ。子供を中学やかいへやるのは国の務めも、村の務めもちゃんと、一人前にすましてからやるもんじゃ。――まあ、そりゃ、お前の勝手じゃが、兎に角今年から、お前に一戸前持たすせに、そのつもりで居れ。」
小川は、なお、一と時、いかつい眼つきで源作を見つめ、それから怒っているようにぷいと助役の方へ向き直った。収入役や書記は、算盤《そろばん》をやめて源作の方を見ていた。源作は感覚を失ったような気がした。
彼は、税金を渡すと、すごすご役場から出て帰った。
昼飯の時、
「今日は頭でも痛いんかいの。」と、おきのは彼の憂鬱に硬ばっている顔色を見て訊ねた。彼は黙って何とも答えなかった。
飯がすんで、二人づれで畠へ行ってから、おきのは、
「家のような貧乏たれに、市の学校やかいへやるせに、村中大評判じゃ。始めっからやらなんだらよかったのに。」と源作に云った。
源作は何事か考えていた。
「もう県立へ通らなんだら、私立へはやるまいな。早よ呼び戻したらえいわ。」
「うむ。」
「分《ぶん》に過ぎるせに、通っとっても、やらん方がえいじゃけれど……」とおきのは独言った。
暫らくして、
「そんなら、呼び戻そうか。」と源作は云った。
「そうすりゃえいわ。」おきのはすぐ同意した。
源作は畠仕事を途中でやめて、郵便局へ電報を打ちに行った。
「チチビヨウキスグカエレ」
いきなりこう書いて出した。
帰りには、彼は、何か重荷を下したようで胸がすっとした。
息子は、びっくりして十一時の夜汽車であわてゝ帰って来た。
三日たって、県立中学に合格したという通知が来たが、入学させなかった。
息子は、今、醤油屋の小僧にやられている。
[#地から1字上げ](大正十二年三月)
底本:「筑摩現代文学大系 38 小林多喜二 黒島傳治 徳永直集」筑摩書房
1978(昭和53)年12月20日初版第1刷発行
入力:大野裕
校正:はやしだかずこ
2000年7月3日公開
2006年3月21日修正
青空文庫作成ファイル:
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