ホームに降りると、すぐ母を見つけて、こう叫びながら、奥さんのいる方へ走りよった。片隅からそれを見ていたおきのは、息子から、こうなれなれしく、呼びかけられたら、どんなに嬉しいだろうと思った。
「坊っちゃんお帰り。」と庄屋の下婢は、いつもぽかんと口を開けている、少し馬鹿な庄屋の息子に、叮嚀《ていねい》にお辞儀をして、信玄袋を受け取った。
 おきのは、改札口を出て来る下車客を、一人一人注意してみたが、彼女の息子はいなかった。確かに、今、下車した坊っちゃん達と一緒に、試験がすんで帰って来る筈だった。村をたって行った日は異《ちが》っていたが、学校は同じだった。彼女は、乗り越したのではあるまいかと心配しながら、なお立って、停車場の構内をじろ/\見廻した。
「僕、算術が二題出来なんだ。国語は満点じゃ。」醤油屋の坊っちゃんは、あどけない声で奥さんにこんなことを云いながら、村へ通じている県道を一番先に歩いた。それにつづいて、下車客はそれぞれ自分の家へ帰りかけた。
「谷元は、皆な出来た云いよった。……」こういう坊っちゃんの声も聞えた。谷元というのは源作の姓である。
 おきのは、走りよって、息子のことを、訊
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