てあった。県立中学は、志願者が非常に多いと云って来た。市内の小学校を出た子供は、先生が六カ月も前から、肝煎《きもい》って受験準備を整えている上に、試験場でもあわてずに落ちついて知って居るだけを書いて出すが、田舎から出て来た者は、そういう点で二三割損をする。もっとも、この子はよく出来るということだから、通ることは通るだろうが、と書いてあった。
「通ったらえらいものじゃがなあ。」源作は、葉書を嚊《かゝあ》に読んできかせた後、こう云った。
「もっと熱心にお願をするわ。」
 こういうことを、神仏に願っても、効くものでない、と常々から思っている源作も、今は、妻の言葉を退ける気になれなかった。
 源作が野良仕事に出ている留守に、おきのの叔父が来た。
「そちな、子供を中学校へやったと云うじゃないかいや。一体、何にする積りどいや。[#底本では「。」は脱落]」と叔父は、磨りちびてつるつるした縁側に腰を下して、おきのに訊ねた。
「あれを今、学校をやめさして、働きに出しても、そんなに銭はとれず、そうすりゃ、あれの代になっても、また一生頭が上がらずに、貧乏たれで暮さにゃならんせに、今、ちいと物入れて学校へでもやっといてやったら、また何ぞになろうと思うていない。」と、おきのは答えた。
「ふむ。そりゃ、まあえいが、中学校を上ったって、えらい者になれやせんぜ。」
「うちの源さん、まだ上へやる云いよらあの。」
「ふむ。」と、叔父は、暫らく頭を傾けていた。
「庄屋の旦那が、貧乏人が子供を市《まち》の学校へやるんをどえらい嫌うとるんじゃせにやっても内所《ないしょ》にしとかにゃならんぜ。」と、彼は、声を低めて、しかも力を入れて云った。
「そうかいな。」
「誰《だ》れぞに問われたら、市へ奉公にやったと云うとくがえいぜ。」
「はあ。」
「ようく、気をつけにゃならんぜ……」と叔父は念をおした。そして、立って豚小屋を見に行った。
「この牝《めす》はずか/\肥えるじゃないかいや。」
 親豚は、一カ月程前に売って、仔豚のつがいだけ飼っている。その牝の方を指して叔父はそう云った。
「はあ。」と、おきのは云って、彼女も豚小屋の方へ行った。
「豚を十匹ほど飼うたら、子供の学資くらい取られんこともないんじゃがな、……何にせ、ここじゃ、貧乏人は上の学校へやれんことにしとるせに、奉公にやったと云うとかにゃいかんて。」と、叔父は繰り返した。
 おきのは、叔父の注意に従って、息子のことを訊ねられると、傘屋へ奉公に出したと云った。併し、村の人々は、彼女の言葉を本当にしなかった。でも、頑固に、「いいえいな、家《うち》に、市の学校へやったりするかいしょうがあるもんかいな。食うや食わずじゃのに、奉公に出したんにきまっとら。」と、彼女は云い張った。
 が、人々は却って皮肉に、
「お前んとこにゃ、なんぼかこれが(と拇指《おやゆび》と示指《さしゆび》とで円《ま》るものをこしらえて、)あるやら分らんのに、何で、一人息子を奉公やかいに出したりすらあ! 学校へやったんじゃが、うまいこと嘘をつかあ、……まあ、お前んとこの子供はえらいせに、旦那さんにでもなるわいの、ひひひ……。」
 おきのは、出会《でくわ》した人々から、嫌味を浴せかけられるのがつらさに、
「もういっそ、やめさして、奉公にでも出すかいの。」と源作に云ったりした。
「奉公やかい。」と、源作は、一寸冷笑を浮べて、むしむしした調子で、「己等《おれら》一代はもうすんだようなもんじゃが、あれは、まだこれからじゃ。少々の銭を残してやるよりや、教育をつけてやっとく方が、どんだけ為めになるやら分らせん。村の奴等が、どう云おうがかもうたこっちゃない。庄屋の旦那に銭を出して貰うんじゃなし、俺が、銭を出して、俺の子供を学校へやるのに、誰に気兼ねすることがあるかい。」
 おきのは、叔父の話をきいたり、村の人々の皮肉をきいたりすると、息子を学校へやるのが良くないような気がするのだったが、源作の云うことをきくと、源作に十二分の理由があって、簡単、明瞭で、他《ほか》から文句を云う余地はないように思われた。

     四

 試験がすんで、帰るべき筈の日に、おきのは、停車場《ていしゃば》へ迎えに行った。彼女は、それぞれ試験がすんで帰ってくる坊っちゃん達を迎えに行っている庄屋の下婢《げじょ》や、醤油屋の奥さんや、呉服屋の若旦那やの眼につかぬように、停車場の外に立って息子を待っていた。彼女は、自分の家《うち》の地位が低いために、そういう金持の間に伍することが出来ないように、自から、卑下していた。そして、また、実際に、穢いドン百姓の嚊と見下げられていた。
 やがて、汽車が着くと、庄屋や、醤油屋や、呉服屋などの坊っちゃん達が降りて来た。
「お母あさん。」と、醤油屋の坊っちゃんは、プラット
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