して緒を引っぱった。暫らくして、小さい声で、
「皆な角力を見に行くのに!」と云った。
「うちらのような貧乏タレにゃ、そんなことはしとれゃせんのじゃ!」
「えゝい。」がっかりしたような声でいって、藤二はなお緒を引っぱった。
「そんなに引っぱったら緒が切れるがな。」
「えゝい。皆のよれ短いんじゃもん!」
「引っぱったって延びせん――そんなことしよったらうしろへころぶぞ!」
「えゝい延びるんじゃ!」
 そこへ父が帰って来た。
「藤は、何ぐず/\云よるんぞ!」藤二は睨みつけられた。
「そら見い、叱らりょう。――さあ、牛の番をしよるんじゃぞ!」
 母はそれをしおに、こう云いおいて田へ出かけてしまった。
 父は、臼の漏斗に小麦を入れ、おとなしい牛が、のそのそ人の顔を見ながら廻っているのを見届けてから出かけた。
 藤二は、緒を買って貰ってから、子供達の仲間に入って独楽を廻しているうちに、自分の緒が他人のより、大分短いのに気づいた。彼は、それが気になった。一方の端を揃えて、較べると、彼の緒は誰のに比しても短い。彼は、まだ六ツだった。他の大きい学校へ上っている者とコッツリコをするといつも負けた。彼は緒が短いためになお負けるような気がした。そして、緒の両端を持って引っぱるとそれが延びて、他人のと同じようになるだろうと思って、しきりに引っぱっているのだった。彼は牛の番をしながら、中央の柱に緒をかけ、その両端を握って、緒よ延びよとばかり引っぱった。牛は彼の背後をくるくる廻った。

     三

 健吉が稲を刈っていると、角力を見に行っていた子供達は、大勢群がって帰って来た。彼等は、帰る道々独楽を廻していた。
 それから暫らく親子は稲を刈りつゞけた。そして、太陽が西の山に落ちかけてから、三人は各々|徒荷《かちに》を持って帰った。
「牛屋は、ボッコひっそりとしとるじゃないや。」
「うむ。」
「藤二は、どこぞへ遊びに行《い》たんかいな。」
 母は荷を置くと牛部屋をのぞきに行った。と、不意に吃驚《びっくり》して、
「健よ、はい来い!」と声を顫わせて云った。
 健吉は、稲束《いなたば》を投げ棄てゝ急いで行って見ると、番をしていた藤二は、独楽の緒を片手に握ったまま、暗い牛屋の中に倒れている。頸がねじれて、頭が血に染っている。
 赤牛は、じいっと鞍を背負って子供を見守るように立っていた。竹骨の窓から夕日が、牛の眼球に映っていた。蠅が一ツ二ツ牛の傍でブン/\羽をならしてとんでいた。……
「畜生!」父は稲束を荷って帰った六尺棒を持ってきて、三時間ばかり、牛をブンなぐりつゞけた。牛にすべての罪があるように。
「畜生! おどれはろくなことをしくさらん!」
 牛は恐《おそ》れて口から泡を吹きながら小屋の中を逃げまわった。
 鞍は毀《こわ》れ、六尺は折れてしまった。


 それから三年たつ。
 母は藤二のことを思い出すたびに、
「あの時、角力を見にやったらよかったんじゃ!」
「あんな短い独楽の緒を買うてやらなんだらよかったのに!――緒を柱にかけて引っぱりよって片一方の端から手がはずれてころんだところを牛に踏まれたんじゃ。あんな緒を買うてやるんじゃなかったのに! 二銭やこし仕末をしたってなんちゃになりゃせん!」といまだに涙を流す。……
[#地から1字上げ](大正十四年九月)



底本:「筑摩現代文学大系 38 小林多喜二 黒島伝治 徳永直集」筑摩書房
   1978(昭和53)年12月20日初版第1刷発行
入力:大野裕
校正:Juki
2000年7月24日公開
2006年3月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング