抜けてしまう。そしてその時の情景が、頭の中に焼きつけられて、二三日間、黒い、他人に見えない大きな袋をかむりたいような気がする。しかし、それも、最初の一回、それから、二人目くらいまでである。戦闘の気分と、その間の殺気立った空気とは、兵卒を酔わして半ば無意識状態にさせる。そこで、彼等は人を殺すことが平気になり、平素持っていそうもない力が出てくる。
 ある時、三人の兵卒が、一つの停車場を占領したことがある。向うは百人ばかり押しよせてきて、そこを奪いかえそうとした。銃を持たずにやってきた者も大分あったらしい。二人は[#「二人は」はママ]、無茶苦茶に射ったのであるが、その間、彼等は、殆ど無意識で、あとから、自分等のやったことに気づいて吃驚したということだ。
 兵卒は、誰れの手先に使われているか、何故こんな馬鹿馬鹿しいことをしなければならないか、そんなことは、思い出す余裕なしに遮二無二に、相手を突き殺したり殺されたりするのだ。彼等は殺気立ち、無鉄砲になり、無い力まで出して、自分達に勝味が出来ると、相手をやっつけてしまわねばおかない。犬喧嘩のようなものだ。人間は面白がって見物しているのに、犬は懸命の力を出して闘う。持主は自分の犬が勝つと喜び、負けると悲観する。でも、負けたって犬がやられるだけで、自分に怪我はない。利害関係のない者は、面白がって見物している。犬こそいい面の皮だ。



底本:「黒島傳治全集 第三巻」筑摩書房
   1970(昭和45)年8月30日第1刷発行
入力:Nana ohbe
校正:林 幸雄
2009年6月17日作成
2009年7月15日修正
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