はさんだ。
「ネポニマーユ」吉田は繰返した。「ネポニマーユ。」
その語調は知らず/\哀願するようになってきた。
老人は若者達に何か云った。すると若者達は、二人の防寒服から、軍服、襦袢《じゅばん》、袴下、靴、靴下までもぬがしにかかった。
……二人は雪の中で素裸体《すっぱだか》にされて立たせられた。二人は、自分達が、もうすぐ射殺されることを覚《さと》った。二三の若者は、ぬがした軍服のポケットをいち/\さぐっていた。他《ほか》の二人の若者は、銃を持って、少し距った向うへ行きかけた。
吉田は、あいつが自分達をうち殺すのだと思った。すると、彼は思わず、聞き覚えの露西亜語で「助けて! 助けて!」と云った。だが、彼の覚えている言葉は正確ではなかった。彼が「助けて」(スパシーテ)というつもりで云った言葉が「有がとう」(スパシーポ)と響いた。
露西亜人には、二人の哀願を聞き入れる様子が見えなかった。老人の凄い眼は、二人に無関心になってきた。
向うへ行った二人の若者は銃を持ちあげた。
それまでおとなしく雪の上に立っていた吉田は、急に前方へ走りだした。すると、小村も彼のあとから走りだした。
「助けて!」
「助けて!」
「助けて!」
二人はそう叫びながら雪の上を走った。だが、二人の叫びは、露西亜人には、
「有難う!」
「有難う!」
「有難う!」
と聞えた。
……間もなく二ツの銃声が谷間に轟き渡った。
老人は、二人からもぎ取った銃と軍服、防寒具、靴などを若者に纏めさして、雪に埋れた家の方へ引き上げた。
「あの、頭のない兎も忘れちゃいけないぞ!」
六
三日目に、二個中隊の将卒総がゝりで、よう/\探し出された時、二人は生きていた時のまゝの体色で凍っていた。背に、小指のさき程の傷口があるだけであった。
顔は何かに呼びかけるような表情になって、眼を開《あ》けたまゝ固くなっていた。
「俺が前以て注意をしたんだ、――兎狩りにさえ出なけりゃ、こんなことになりゃしなかったんだ!」
上等看護長は、大勢の兵卒に取りかこまれた二人の前に立って、自分に過失はなかったものゝように、そう云った。
彼は、他の三年兵と一緒に帰らしておきさえすればこんなことになりはしなかったのだ、とは考えなかった!
彼は、二個の兵器、二人分の被服を失った理由書をかゝねばならぬことを考えていた。
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