も楽にならないことを知っている。経験から知っているのだろう。自作農は、直接地主から搾取されることはない。併し誰れかから間接に搾取されている。昔は、いまだ少しはましだった。併し、近頃になるに従って、百姓の社会的地位、経済的地位が不利になって生活が行きつまって苦るしくなって来ている。それを親爺は理論的に説明することはよくしないが、具体的な実例によって、知っている僕は、たびたび親爺の話をきいたものだ。親爺も、僕達と同じようなことを考えている。だから、僕が、社会主義の話をしてきかせると、非常に嬉しがってきいている。親爺も、それで、胸の鬱憤が晴れ息がつけるものらしい。
だが、親爺は、そういうことを考えていても、それを主張したり、運動したりする元気はない。年が行きすぎている。そして、どこまでも器械のようにコツ/\働いている。
二三年前の話である。寒い冬の晩で、藁仕事をしながら一家の者が薄暗い電燈の下に集っている時、農村の話をし社会主義の話をしたものである。戸は閉めきってあったが、焚き火もしなければ、火鉢もなかった。で親爺に鼻のさきに水ばな[#「ばな」に傍点]をとまらせていたものだ。なんでも僕は、新聞記事を見てだったか、本を読んでだったか、その日興奮していた。話は、はずんだ。僕は、もう十年か十五年もすれば吾々の予期するような時代がやって来るだろう。その時には地主も資本家やその他の、現在に於ける社会的地位が、がらりと変って来る。というようなことを喋ったものだ。
すると親爺は、
「えゝい、そんな早よ、なりゃえゝけんど、十年や十五年でなに、そんなになろうに!──俺等が生きとるうちにゃなか/\そこまで行かない」と、水ばなをすゝり上げた。
僕は今、そのことを思い出す。
親爺は、六十年の経験からそんなことを云ったのだろう。
底本:「黒島傳治全集 第三巻」筑摩書房
1970(昭和45)年8月30日第1刷発行
入力:Nana ohbe
校正:林 幸雄
2009年6月17日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング