と、若手の組合員だった鍋谷や、宗保や、後藤の顔を見た。それから彼等の小学校の先生だった六十三の、これも先生をやめてから、若い者よりももっと元気のある運動者となった藤井にあった。
 どの顔にも元気がない。
 組合が厳存していた時代の元気が、からきしなくなってしまっている。それに、西山が驚いたのは、彼等の興味が、他へ動いていることだ。
 ごつ/\した、几帳面な藤井先生までが、野球フワンとなっていた。慶応|贔屓《びいき》で、試合の仲継放送があると、わざわざ隣村の時計屋の前まで、自転車できゝに出かけた。
 五月一日の朝のことである。今時分、O市では、中ノ島公園のあの橋をおりて、赤い組合旗と、沢山の労働者が、どん/\集っていることだろうな、と西山は考えた。彼は、むほん[#「むほん」に傍点]気を起して、何か仕出かして見たくなった。百姓が、鍬や鎌をかついで列を作って示威運動をやったらどんなもんだろう。
 彼は、宗保と後藤をさそい出した。三人で藤井先生をもさそいに行きかけた。
「おや、お揃いで、どこへ行くんだい?」
 下駄屋の前を通って、四ツ角を空の方へ折れたところで、饂飩《うどん》屋にいたスパイがひょっこり立って出て来た。スパイは、饂飩屋で饂飩を食って金を払わない。お湯屋の風呂に入って、風呂銭を払わない、煙草屋で、煙草を借りて、そのまゝ借りッぱなしである。饂飩屋も、お湯屋も、煙草屋も、商売の一寸した手落ちにケチをつけられて罰金沙汰にせられるのが怖い。そこで、スパイに借られ、食われたものは、代金請求もよくせずに、黙って食われ損をしているのだ。
「山の根へ薪を積むとて行ってるんだよ。」宗保が気をきかした。
「ヘエエ。」
 スパイは、疑い深かげな眼で三人を眺めた。そして、ついて来た。
 ──こいつは、くそッ、なにも出来なくなっちゃったな、と西山は思った。彼は、一寸なにかやると、すぐ検束騒ぎをするここの警察をよく知っていた。
 三人は、藤井先生の家へ行くことが出来なくなった。宗保は、薪を積みに行くという真実味をよそうため、途中で猫車をかりて、引っぱって山へ行く坂の道を登りだした。
「今日は、どうするにも駄目だよ。」彼の眼は二人に語った。「俺れんちの薪を積む手伝いでもして呉れろよ。」
 スパイは、三人が集ったのを、何かたくらんでいると睨んでいた。この男は、藤井先生がY村で教えていた頃の生徒
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