るように、うわ眼を使って、小使をじろりと見た。
「誰れが出した札だって?」
 局長は、小使から局員の方へそのうわ眼を移しながら云った。
 小使は、局長の光っている眼つきが、なお自分に嫌疑をかけているのを見た。彼は、反抗的な、むずかしい気持になった。彼は、局長の言葉が耳に入らなかった振りをして、そこに集っている者達に栗島という看護卒が平生からはっきりしない点があることを高い声で話した。間もなく通りから、騒ぎを聞きつけて人々がどや/\這入って来た。
 郵便局の騒ぎはすぐ病院へ伝わった。
 自分の出した札が偽ものだったと見破られた時のこういう話をきくと、栗島は、なんだか自分で、知らぬまに、贋造紙幣を造っていたような、変な気持に襲われた。怖くて恐ろしい気がした。人間は、罪を犯そうとする意志がなくても、知らぬ間に、自分の意識外に於て、罪を犯していることがある。彼は、どこかで以前、そういう経験をしたように思った。どこだったか、一寸思い出せなかった。小学校へ通っている時、先生から、罰を喰った。その時、悪いことをするつもりがなくして、やったことが、先生から見ると悪いことだったような気もした。いや、たしかにそうだった。子供が自分の衝動の赴くまゝに、やりたい要求からやったことが、先生から見て悪いことがたび/\ある。子供はそこで罰せられねばならない。しかも、それは、子供ばかりにあるのではなかった。誰れにでもあることだ。人間には、どんなところに罪が彼を待ち受けているか分らない。弱点を持っている者に、罪をなすりつけようと念《こゝろ》がけている者があるのだ。彼は、それを思って恐ろしくなった。

      二

「財布を出して見ろ。」
「はい。」
「ほかに金は置いてないか。」
「ありません。」
「この札は、君が出したやつだろう。」
 憲兵伍長は、ポケットから、大事そうに、偽札を取り出して示した。
「さあ、どうだったか覚えません。――あるいは出したやつかもしれません。」
「どっから受取った?」
「…………」
 栗島は、憲兵上等兵の監視つきで、事務室へ閉めこまれ、二時間ほど、ボンヤリ椅子に腰かけていた。机の上には、街の女の写真が大きな眼を開けて笑っていた。上等兵は、その写真を手に取って、彼の顔を見ながら、にや/\笑った。女郎の写真を彼が大事がっているのを冷笑しているのだが、上等兵も街へ遊びに出て、実物の女の顔を知っていることを思うと、彼はいゝ気がしなかった。女を好きになるということは、悪いことでも、恥ずべきことでもない。兵卒で、取調べを受ける場合に立つと、それが如何にも軽蔑さるべき、けがらわしいことのように取扱われた。不品行を誇張された。三等症のように見下げられた。ポケットから二三枚の二ツに折った葉書と共に、写真を引っぱり出した時、伍長は、
「この写真を何と云って呉れたい?」とへへら笑うように云った。
「何も云いやしません。」
「こいつにでも(と写真をさも軽蔑した調子で机の上に放り出して)なか/\金を入れとるだろう。……偽せ札でもこしらえんけりゃ追っつかんや。」
 如何にも、女に金を貢ぐために、偽せ札をこしらえていたと断定せぬばかりの口吻だ。
 彼は弁解がましいことを云うのがいやだった。分る時が来れば分るんだと思いながら、黙っていた。しかし、辛棒するのは、我慢がならなかった。憲兵が三等症にかゝって、病院へ内所で治療を受けに来ることは、珍らしくなかった。そんな時、彼等は、頭を下げ、笑顔を作って、看護卒の機嫌を取るようなことを云った。その態度は、掌《てのひら》を引っくりかえしたように、今、全然見られなかった。上等兵の表情には、これまで、病院で世話になったことのないあかの他人であるような意地悪く冷酷なところがあった。
 こういう態度の豹変は憲兵や警官にはあり勝ちなことだ。憲兵や警官のみならず、人間にはそういう頼りにならぬ一面が得てありがちなことだ。それ位いなことは、彼にも分らないことはなかった。それでも、何故か、彼は、腹の虫がおさまらなかった。憲兵が、横※[#「やまいだれ+坐」、第3水準1−88−47]《よこね》で跛《びっこ》を引きながら病院へやって来たことを云って面罵してやりたかった。だが、そうすれば、今、却って、自分が損をするばかりだ。彼はそう考えた。強いて押し黙っていた。
 一時間ばかり椅子でボンヤリしているうちに、伍長と、も一人の上等兵とは、兵舎で私の私物箱から背嚢、寝台、藁布団などを悉く引っくりかえして、くまなく調べていた。そればかりでなく、ほかの看護卒の、私物箱や、財布をも寝台の上に出させ、中に這入っている紙幣を偽物[#「偽物」は底本では「物偽」]かどうか、透かしてたしかめた。
 憲兵にとって、一枚の贋造紙幣が発見されたということは、なんにも自分の利害
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