に関する問題ではなかった。発覚されない贋造紙幣ならば、百枚流通していようが、千枚流通していようが、それは、やかましく、詮議立てする必要のないことだった。しかし一度発覚され、知れ渡《わた》った限りは、役目として、それを取調べなければならなかった。犯人をせんさくし出さなければ、役目がつとまらなかった。役目がつとまらないということは、自分の進級に関係し、頸に関係する重大なこと柄だった。
兵卒は、初年兵の時、財布に持っている金額と、金銭出納簿(入営するとそれを記入することを云いつけられる。)の帳尻とが合っているかどうか、寝台の前に立たせられて、班の上等兵から調べられた経験を持っていた。金額と帳尻とが合っていないと、胸ぐらを掴まれ、ゆすぶられ、油を搾られた。誰れかゞ金を紛失した場合、殊更、帳尻を合わしていない者に嫌疑が掛って来た。帳尻の合っていない者が盗んだとは、断定することは出来ない。それは弱点ではあった。が、盗んだ者だという理由にはならなかった。けれども、実際には、帳尻を合わしていない、投げやりな、そういう者に限って人のいゝ男が、ひどい馬鹿を見るのだ。
憲兵が取調べる際にも、やはり、その弱点を掴むことに伍長と上等兵の眼は向けられた。彼等は、犯人らしい、多くの弱点を持っている者を挙げれば、それで役目がつとまるのだ。
事務室から出ることを許されて、兵舎へ行くと、同年兵達は、口々にぶつ/\こぼしていた。
「栗島。お前本当に偽札をこしらえたんか?」
松本がきいた。
「冗談を云っちゃ困るよ。」彼は笑った。
「憲兵がこしらえたらしいと云いよったぞ。」
「おどかすのは、えゝかげんにしてくれ。」
彼の寝台の上には、手帳や、本や、絵葉書など、私物箱から放り出したまゝ散らかっていた。小使が局へ持って行った貯金通帳は、一円という預入金額を記入せずに拡げられてあった。彼は、無断で私物箱を調べられるというような屈辱には馴れていた。が、聯隊の経理室から出た俸給以外に紙幣が兵卒の手に這入る道がないことが明瞭であるにも拘《かかわ》らず、弱点を持っている自分の上に、長くかゝずらっている憲兵の卑屈さを見下げてやりたい感情を経験せずにはいられなかった。主計には頭が上らないから、兵卒のところでえばっているのだ。そんな風に考えた。
「オイ、栗島。」軍医と何か打合せをしていた伍長が、扉のすきから獰猛な顔を
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