い顔と、表情とを持っていた。彼は鮮人と云えば、皆同じようなプロフィルと表情を持っているとしか見えない位い、滅多に接近したことがなかった。彼等の顔には等しく、忍従した上に忍従して屈辱を受けつゞけた人間の沈鬱さが表現されているばかりだ。老人には、泣き出しそうな、哀しげな表情があった。
 彼は、朝鮮語は、「オブソ」という言葉だけしか知らなかった。それでは話が出来なかった。
「どこに住んでいるんだ。」
 露西亜語できいてみた。
 黄色い歯を見せて老人は何か云った。語調が哀れで悄然としていた。唇が動くにつれて、鰌髭が上ったり下ったりした。返事は露西亜語で云われたが、彼には意味がとれなかった。
「どうして、こんなところへやって来たんだ?」
 彼は、また露西亜語できいた。老人は不可解げに頸をひねって、哀しげな、また疑うような眼で、いつまでもおずおず彼を見ていた。
 彼も、じっと老人を見た。

      四

 何故、憲兵隊へつれて来られたか、その理由が分らずに、彼は、湿っぽい、地下室の廊下を通って帰るように云われた。彼は自分が馬鹿にせられたような気がして腹立たしかった。廊下の一つの扉は、彼が外へ出かけに開いていた。のぞくと、そこは営倉だった。
「偽札をこしらえた者が掴まったそうじゃないか、見てきたかい?」
 兵舎へ帰ると、一人で将棋盤を持出して駒を動かしていた松本が頭を上げてきいた。
「いや。」
「朝鮮人だそうだよ。三枚ほど刷った五円札を本に挟んで置いてあったそうだ。」
「誰れからきいた?」
「今、尿道注射に来た憲兵が云っとった。密偵が見つけ出して来たんだ。」
 密偵は、鮮人だった。日本語と露西亜語がなか/\達者な、月三十円で憲兵隊に使われている男だった。隊長は犯人を検挙するために、褒美を十円やることを云い渡してあった。密偵は十円に釣られて、犬のように犯人を嗅ぎまわった。そして、十円を貰って嬉しがっている。憲兵は、松本にそういう話を笑いながらしたそうだ。
「じや、あの朝鮮人かもしれん。今さっきまで憲兵隊で同じ机に向って坐っとったんだ。」
 彼は、ひょっと連想した。
「どんな奴だ?」
「不潔な哀れげな爺さんだ。」
「君は、その爺さんと知り合いかって訊ねられただろう?」松本は意味ありげにきいた。
「いや。」
「露西亜語を教わりに行く振りをして、朝鮮人のところへ君は、行っとったんじゃ
前へ 次へ
全13ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
黒島 伝治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング