ても内地米が目標となる。
こんなのは、昨年の旱魃にいためつけられた地方だけかと思っていたら、食糧の供給を常に農村に仰がなければならない都会では、もっとすさまじいらしい。農村よりはよほどうまいものを食いなれている都会人には、恐らく外米は、痛くこたえることだろう。が、そこにもまた、いろいろな手段がとられていて、先日東京から来たある友達の話によると、外米の入っていない県にいる親戚に頼んだり、女中さんの田舎へ云ってやったりして、送ってもらっている者がだいぶあるとか。旱魃を免れた県には、米穀県外移出禁止というような城壁が築かれてはいるが、表門は閉っていても、裏のくゞり戸があいているので、四斗俵ならぬ三斗五升いりの袋ならその門を通過させてもらえるのだと笑っていた。
この頃好景気のある船会社の船長の細君は、外米は鶏の餌に呉れてやっている、これは最も簡単な方法だが誰れにでも出来る方法ではない。新潟では米を家畜の飼料にしたというが、勿体ない話だが、新潟の農民が自分の田で作った米と、私の地方の農民が、金を出して買った外米とは同一に談じられないのである。船長の細君でゝもない限り、なんとかして外米をうまく食べようという技巧がそこで工夫されだした。
まず、食事たびごとに飯をたいてみた。なにしろ、外米はつめたくなると一そうパラつくのである。
前夜から洗っておいて、水加減を多くし、トロ火でやわらかくそしてふきこぼれないようにたいてみた。
小豆飯にたいてみた。
食塩をいれていく分味をつけてみた。
寒天をいれて、ねばりをつけた。
片栗をいれてねばりをつけた。
内地米と外米の五分五分の混合、あるいは六分四分の混合に平麦を加えるとどうもばらつきようがひどいので糯米《もちごめ》を二分ほど加えてみた。
平麦のかわりに丸麦を二度たきとして、ねりつぶしてねばりをつけた。
黄粉をまぶして食ってみた。
数えているとまだあるだろうが、いろ/\な食べ方が一カ月ばかりのうちに、附近の人々によってかくの如く考え出された。
平生、内地米のありがたさには気づかずに食っていたのだが『食』は、『衣』『住』と共に、人間が生きて行く上に最も重大なことなので、まずいとなると、それに対する対策は、なか/\真剣でいくらも智恵が働きそうに思われる。
一週間ばかり外米混入の飯を食いつづけた後、一日だけまぜものなしの内地米に戻ると、はじめて本当に身につくものを食った感じで、その身につくものが快よく胃の腑から直ちに血管にめぐって行くようで、子供らは、なんばいもなんばいも茶碗を出すのである。
そして、あゝやっと息をついたという。おとなも本当にそうだと思う。
ところが、この誰れもきらいな外米を、好んで買う者もある。しかも内地米を混合せず、外米ばかりを買うのである。
それは麦を主食としている農民たちで、その地方には田がなく、金儲けの仕事もすくなく土地の条件にめぐまれない環境にある人々だ。外米は、内地米あるいは混合米よりもいくらか値段が安いのでそこを見こんで買うのである。これを米屋の番頭から聞きこんだあるはしっこい女は、じゃ、うちにある外米を売ってあげよう、うんと安くしてあげてもかまわないから、と云いだした。
往復一里もあるその部落へその女は負い籠を背負って行ったそうだが、結果がどうなったかは帰って来ても喋らない。しかし、再三籠を背負って行くのを見た者があるそうだ。
が、最近また米の配給方法が変って外米を鶏に呉れてやった船長の細君も、籠で売りに行く女も、もうそんなことができなくなってしまった。それは、そんなのを防ぐためだろうが、内地米と外米をすっかり混合してしまって配達するのである。鶏に呉れてやる女には、これはよいことだが、一週間に一度だけ内地米を食って息をついていた子供らにはこれはなか/\慰められないおお事である。
底本:「黒島傳治全集 第三巻」筑摩書房
1970(昭和45)年8月30日第1刷発行
入力:Nana ohbe
校正:林 幸雄
2009年6月11日作成
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