な品々を持てるだけ持って逃げていた。百姓は、鶏をも、二本の脚を一ツにくくって、バタバタ羽ばたきするやつを馬の鞍につけて走り去った。だが産んだばかりの卵は持って行く余裕がなかったと見えて、巣箱に卵がころがっていた。兵士は、見つけると、ばい取りがちをし乍《なが》ら慌《あわ》てて残されたその卵をポケットに拾いこんだ。
三
山の麓のさびれた高い鐘楼《しょうろう》と教会堂の下に麓から谷間へかけて、五六十戸ばかりの家が所々群がり、また時には、二三戸だけとびはなれて散在していた。これがユフカ村だった。村が静かに、平和に息づいていた。
兵士達は、ようよう村に這入る手前の丘にまでやって来た。
彼等はうち方をやめて、いつでも攻撃に移り得る用意をして、姿勢を低く草かげに散らばった。
「ここの奴等は、だいぶいいものを持っていそうだぞ。」
永井は、村なりを見て掠奪心を刺戟された。彼は、ここでもロシアの女を引っかけることが出来る――それを考えていた。
「おい、いくら露助だって、生きてゆかなきゃならんのだぜ。いいものばかりをかっぱらわれてたまるものか!」
栗本の声は不機嫌にとげ立っていた。
「なあに、××が許してることはやらなけりゃ損だよ。」
珍しい、金目になるものを奪い取り、慾情の饉《う》えを満すことが出来る、そういう期待は何よりも兵士達を勇敢にする。彼等は、常に慾情に飢え、金のない、かつかつの生活を送っていた。だから、自分に欠けているものがほしくてたまらなかった。そこの消息を見抜いている×××は、表面やかましく云いながら、実は大目に見のがした。五十銭銀貨を一つ盗んでも禁固を喰う。償勤兵とならなければならない。それが内地に於ける軍人である。軍人は清廉潔白でなければならない。ところが、その約束が、ここでは解放されているのだ。兵士は、その××に引っかかって、ほしいものが得たさに勇敢に、捨身になるのだった。
「前島、その耳輪を俺によこしとけよ。」
兵士は命令を待っている間に、今さっき百姓小屋で取ってきた獲物を、今度はお互いに、口でだまして奪い合った。
「いやですよ、軍曹殿。」
「俺のナイフと交換しようか。」
ほかの声が云った。
「いやだよ。そんなもの十銭の値打もすりゃせんじゃないか。」
「馬鹿! 片ッ方だけの耳輪にどれだけの値打があるんだ!」
斜丘の中ほどに壊《こわ》れかけた小屋があった。そこで通訳が向うからやって来た百姓の一人に何か口をきいているのが栗本の眼に映じた。その側に中隊長と中尉とが立っていた。顔が黒く日に焦げて皺《しわ》がよっている百姓の嗄《しゃが》れた量のある声が何か答えているのがこっちまで聞えてきた。その声は、ほかの声を消してしまうように強く太くひびいた。
掠《かす》めたものを取りあっていた兵士達は、口を噤《つぐ》んで小舎の方を見た。十人ばかりの百姓が村から丘へのぼってきた。中隊長は、軍刀のつばのところへ左手をやって、いかつい眼で、集って来る百姓達を睨《ね》めまわしていた。百姓達には少しも日本の兵タイを恐れるような様子が見えなかった。
通訳は、この村へパルチザンが逃げこんで来ただろう。それを知らぬかときいているらしかった。
いくらミリタリストのチャキチャキでも、むちゃくちゃに百姓を殺す訳にや行かなかった。パルチザンはそれにつけこんで、百姓に化けて、安全に、平気であとから追っかけて来た軍隊の傍を歩きまわった。向うに持っている兵器や、兵士の性質を観察した。そして、次の襲撃方法の参考とした。
中隊長は、それをチャンと知っていた。しかし、パルチザンと百姓とは、同じ服装をしていれば、見分けがつかなかった。
「逃げて行くパルチザンなんど、面倒くさい、大砲でぶっ殺してしまえやいいじゃないか。」
小屋のところをぶらぶら歩きながら無遠慮に中隊長の顔を見ていた男が不意に横から口を出した。
その男は骨組のしっかりした、かなり豊かな肉づきをしていた。しかし、せいが高いので寧《むし》ろ痩《や》せて見える敏捷《びんしょう》らしい男だった。
見たところ、彼は、日本の兵タイなど面倒くさい、大砲で皆殺しにしてしまいたいと思っているらしかった。
それが目的格をとっかえて表現されているのだった。
中隊長は、通訳からその意味をきくと、じろりと、いかつい眼で暫らくその男を睨みつけた。
「そんなことをぬかす奴が、パルチザンをかくまっているんだ。」
中隊長は日本語で云った。
「そっちにゃ、大砲を沢山持ってるんだろう。」
その男は、中隊長のすごい眼には無頓着に通訳にきいた。
再び中隊長は、じいっとその男を睨みつけた。中尉が、中隊長の耳もとへ口を持って行って何か囁いた。
兵士達には攻撃の命令が発しられた。
骨組のしっかりした男の表情には、憎悪と敵愾心《てきがいしん》が燃えていた。それがいつまでも輝いている大きい眼から消えなかった。
四
百姓たちは、たびたび××の犬どもを襲撃した経験を持っていた。
襲撃する。追いかえされる。又襲撃する。又追いかえされる。負傷する。
彼等は、それを繰りかえしていた。そのうちに彼等の憎悪と敵愾心はつのってきた。
最初、日本の兵士を客間に招待して紅茶の御馳走をしていた百姓が、今は、銃を持って森かげから同じ兵士を狙撃《そげき》していた。
彼等の村は犬どもによって掠奪され、破壊されたのだ。
ウォルコフもその一人だった。
ウォルコフの村は、犬どもによって、一カ月ばかり前に荒されてしまった。彼は、村の牧者だった。
彼は村にいて、怒った日本の兵タイが近づいて来るのを知ると、子供達をつれて家から逃げた。ある夕方のことだった。彼は、その時のことをよく覚えている。一人の日本兵が、斧《おの》で誰れかに殺された。それで犬どもが怒りだしたのだ。彼は逃げながら、途中、森から振りかえって村を眺めかえした。夏刈って、うず高く積重ねておいた乾草が焼かれて、炎が夕ぐれの空を赤々と焦がしていた。その余映は森にまで達して彼の行く道を明るくした。
家が焼ける火を見ると子供達はぶるぶる顫《ふる》えた。「あれ……父《と》うちゃんどうなるの……」
「なんでもない、なんでもない、火事ごっこだよ。畜生!」彼は親爺《おやじ》と妹の身の上を案じた。
翌朝、村へ帰ると親爺は逃げおくれて、家畜小屋の前で死骸《しがい》となっていた。胸から背にまでぐさりと銃剣を突きさされていた。動物が巣にいる幼い子供を可愛がるように、家畜を可愛がっていたあの温《おとな》しい眼は、今は、白く、何かを睨みつけるように見開《みひらか》れて動かなかった。異母妹のナターリイは、老人の死骸に打倒れて泣いた。
長男は、根もとから折られた西洋桜を、立てらしてつぎ合わそうとした。それは、春、長男が山から掘ってきて、家の前に植えたものだ。子供は、つぎ合わせば、それがいきつくもののように、熱心に、倒れようとする桜を立てらした。しかし、駄目だった。
壊された壁の下から鍬《くわ》を引っぱり出して、彼は、親爺の墓穴を掘りに行った。
村中の家々は、目ぼしい金目になるようなものを掠奪せられ、たたきつぶされていた。餌がなくて飢えた家畜は、そこら中で悲しげにほえていた。
「父うちゃんこんなところへ穴を掘ってどうするの?」
「おじいさんがここんとこでねむるんだよ。」
村の者は、その時、誰れも、日本人に対する憎悪を口にしなかった。
しかし、日本人に対する感情は、憎悪を通り越して、敵愾心になっていた。彼等は、×××を形容するのに、犬という動物の名前を使いだした。
彼等は、自分の生存を妨害する犬どもを、撃滅してしまわずにはいられない欲求に迫られてきた。…………
ウォルコフは、憎悪に満ちた眼で窓から、丘に現れた兵士を見ていた。
丘に散らばった兵士達は、丘を横ぎり、丘を下って、喜ばしそうに何か叫びながら、村へ這入ってきた。そのあとへ、丘の上には、また、別な機関銃を持った一隊が現れてきた。
犬どもが、どれほどあとからやってきているか、それは地平線が森に遮られて、村からは分らなかった。森の向うは地勢が次第に低くなっているのだ。けれども、ウォルコフは、犬どもの、威勢が、あまりによすぎることから推察して、あとにもっと強力な部隊がやって来ていることを感取した。
村に這入ってきた犬どもは、軍隊というよりは、むしろ、××隊だった。彼等は、扉口に立っている老婆を突き倒して屋内へ押し入ってきた。武器の捜索を命じられているのだった。
「こいつ鉄砲をかくしとるだろう。」
「剣を出せ!」
「あなぐらを見せろ!」
「畜生! これゃ、また、早く逃げておく方がいいかもしれんて。」
近づいて来る叫声を耳にしながら、ウォルコフは考えた。
「銃を出せ!」
「剣を出せ!」
兵士達は、それを繰りかえしながら、金目になる金や銀でこしらえた器具が這入っていそうな、戸棚や、机の引出しをこわれるのもかまわず、引きあけた。
彼等は、そこに、がらくたばかりが這入っているのを見ると、腹立たしげに、それを床の上に叩きつけた。
永井は、戦友達と共に、谷間へ馳せ下った。触れるとすぐ枝から離れて軍服一面に青い実が附着する泥棒草の草むらや、石崖や、灌木の株がある丘の斜面を兵士は、真直に馳せおりた。
ここには、内地に於けるような、やかましい法律が存在していないことを彼等は喜んだ。責任を問われる心配がない××××と××は、兵士達にある野蛮な快味を与える。そして彼等を勇敢にするのだった。
武器の押収を命じられていることは、殆《ほと》んど彼等の念頭になかった。快活らしい元気な表情の中には、ただ、ゼーヤから拾ってきた砂金を掴み取り、肌の白い豊満な肉体を持っているバルシニヤを快楽する、そのことばかりでいっぱいだった。
永井は、ほかの者におくれないように、まっしぐらに突進した。着剣した、兵士の銃と銃、剣と剣が触れあって、がちゃがちゃ鳴ったり、床尾板《しょうびはん》がほかの者の剣鞘をはねあげたりした。
「栗本、なに、ぐずぐずしてるんだ! 早く進まんか!」
軍曹がうしろの方で呶鳴っているのを永井は耳にした。が、彼は、うしろへ振りかえろうともしなかった。
少尉が兵士達の注意を右の方へ向けようとして、何やら真剣に叫んで、抜き身の軍刀を振り上げながら、永井の傍を馳せぬけた。しかし、それが何故であるか、永井には分らなかった。彼の頭の中には娘の豊満な肉体を享楽するただそのことがあるばかりだった。
「看護卒!」
どっかで誰れかが叫んだ。しかし、それも何故であるか分らなかった。そして、叫声は後方へ去ってしまった。
「突撃! 突撃ッ!」
小さい溝をとび越したところで少尉は尻もちをついて、軍刀をやたらに振りまわして叫んでいた。少尉の軍袴《ズボン》の膝のところは、血に染んでいた。兵士は、左右によけて、そこを通りぬけた。火薬の臭いが、永井の鼻にぷんときた。
すぐ眼のさきの傾斜の上にある小高い百姓家の窓から、ロシア人が、こっちをねらって射撃していた。
「何しにこんなところまで、おりてきたんだい。俺れゃ、人をうち殺すのにゃ、もうあきあきしちゃったぞ!」
栗本は、進撃の命令を下した者に明かな反感を現して呶鳴った。
が、誰れも、何も云わなかった。
兵士達はロシア人をめがけて射撃した。
大隊長とその附近にいた将校達は、丘の上に立ちながら、カーキ色の軍服を着け、同じ色の軍帽をかむった兵士の一団と、垢《あか》に黒くなった百姓服を着け、縁のない頭巾《ずきん》をかむった男や、薄いキャラコの平常着を纏《まと》った女や、短衣をつけた子供、無帽の老人の群れが、村に蠢《うごめ》き、右往左往しているのを眺めていた。カーキ色の方は、手あたり次第に、扉《ドア》を叩き壊し、柱を押し倒した。逃げて行く百姓の背を、うしろから銃床で殴りつける者がある。剣で突く者がある。煮え湯をあびせられたような悲鳴が聞えて来た。
「あァ、あァ、あァ。」語学校を出て間がない、若い
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