を、鞭で追いまわすようにひどいめに合わした。古江は手早く仕事をする。他の者もそれに負けまいと力を出す。古江がなお手早くやる。他の者は力いっぱいに働いてついて行く。……そして、次のタバコまでに、皆は結局散々コキ使われたことになって、へとへとに疲れてしまう。なかでも脆弱な京一が一番ひどく困らされるのだった。
「何んにも出来ん者が、他人《ひと》と一と並に休みよってどうなるもんでえ!…………休むひまに、道具の名前一つでも覚えるようにせい!」
仁助は、片隅でぐったりしている京一にごつごつ云った。
冬の寒い日だった。井戸端の氷は朝から、そのまま解けずにかたまっていた。仕事をしていても手は凍《い》てつきそうだった。タバコが来ると、皆な急いで焚き火の方へ走って行った。
「京よ、一寸、まかない棒を持って来い。」
さきから来て温まっている古江は、京一がやって行くと、笑いながらそう云った。
「は。」
もう醸造場へ来てから一カ月ばかりたっていた。一カ月もたてば、醤油屋で使う道具の名前は一と通り覚えてしまわねば一人前の能力がないものゝように云われていた。で京一は、訊ねかえしもせずに、知っている風をして、搾り場の道具を置いてある所へ行って、まかない棒を探した。一寸、聞いたことのあるような名だったが、どれがそうなのか思い出せなかった。
焚き火の傍へ行って、殊更らしく訊ねかえすと、他の労働者達に笑われるので気が引けた。何とかして、自分で探し出して持って行かねばならない。
「まかない棒というから、とにかく棒には違いないんだろう。」
彼は、醤油を煮ている大きな釜の傍にササラやタワシや櫂などを置いてある所を探しまわった。
「何を探しよるんどい?」焚き火の方へ行こうとして事務所からやって来た仁助がきいた。
京一は、助かったと思って喜んだ。従兄に訊ねると叱られるかもしれないが、恥しい思いをしなくもいい。
「まかない棒いうたらどれどいの?」
従兄は、例の団栗眼を光らして怒るかと思いの外、少し唇を尖らして、くっくっと吹き出しそうになった。が、すぐそれを呑み込んで、
「ううむ?」と曖昧に塩入れ場の前に六尺の天秤棒や、丸太棒やを六七本立てかけてある方に顎をちょいと突き出して搾り場を通り抜けて行ってしまった。
京一は、丸太棒を取って、これがまかない棒というんだろうと思った。従兄は顎でこの棒を指していたと思われた。もうそれより外に、まかない棒という名の付きそうな棒はなかった。彼は、その棒を持って、焚き火の方へ行って、古江の傍に黙って立って居た。
「持って来たんかい。」
古江の鬚面は焚き火で紅くほてっていた。
「は。」
十人ばかりの焚き火を取り巻いている労働者達は、一様に京一を見て、くっくっ笑った。
「それがまかない棒かい?」
「よう…………」
「どら、こっちへおこせ!」
従兄は団栗眼を光らして、京一の手から丸太棒を引ったくった。そして、いきなり、棒を振り上げて、京一の頭をぐゎんと殴って、腹立たしそうに、それを傍の木屑の上に投げつけた。
「これがまかないの棒じゃ?」
「ははははは……」労働者達は、一時にどっと笑い出した。
京一は、眼が急にかっと光ったように思った。すると、それから頭の芯がじいんと鳴りだした。痛みが頭の先端から始まって、ずっと耳の上まで伝ってきた――皆は、まだ笑っている。急に、泣きたいと思わぬのに涙が出て来た。彼は、涙を他人《ひと》に見られまいとして、俯向いて早足にそこを去った。そして、醤油を煮ている釜の傍の大きな煉瓦の煙突の下に来た。涙は、なおつづいて出た。すると悲しくてたまらなくなって来た。顔を煙突につけると、煉瓦は中を通る煙の熱で温くなっていた。頭がずきんずきん痛んだ。手を触れると、丁度てっぺん[#「てっぺん」に傍点]が腫れ上っていた。
彼は煙突の方に向いて両手で顔を蔽うて泣いた。
仕事が始る時、従兄がやって来て、
「阿呆が、もっと気を付けい!」と云った。
併し、京一は、それを聞いていなかった。彼は、何故か自分一人が馬鹿にせられているようで淋しく悲しかった。
「もうこんなとこに居りゃせん!」
彼は、涙をこすりこすり、手拭いで頬冠りをして、自分の家へ帰った。皆の留守を幸に、汚れている手足も洗わずに、蒲団の中へもぐり込んだ。
暫らくたつと、弟を背負って隣家へ遊びに行っていた祖母が帰ってきて、
「まあ、京よ、風邪でも引いたんかいや。――頬冠りだけは取って寝え。」と云った。
が彼は、寝た振りをして動かなかった。
夕方には、山仕事に行っていた父母が帰った。
祖母は、風邪には温いものがいいだろうと云って、夕飯に芋粥を煮た。京一は、芋粥ばかりを食い、他の家族は、麦飯に少しの芋粥を掛けてうまそうに食った。
「飯食う時だけは、その頬冠りを
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