鼻を鳴らしてこう云った。
「なに、臭いもんか。」
「臭《くさ》のうてか。われ自分でわからんのじゃ。」
山仕事から帰った父母は、うまそうに芋を食っていた。
京一は、山の仕事を思った。鋸で立っている樹を伐り倒すということは面白味のあることだった。霰の降るような日にでも山で働いていると汗が出た。麦飯の弁当がこの上なくうまかった。
槽を使うのは、醤油屋の仕事に慣れた髯面の古江という男がやった。京一は、いつも桃桶で諸味を汲む役をやらせられた。桃桶を使うのは、一番容易な、子供にでもやれる仕事だった。古江が両手で醤油袋の口を開けて差し出して来る。その口へ桃のように一方の尖った桶で諸味をこぼさないように入れるのだ。子供にでもやれる仕事とは云え、京一は肩がこったり、腕が痛んだりした。
耳がやはりじいんと鳴っていた。忙しく諸味を汲み上げるあいまあいまに、山で樹液のしたたる団栗《どんぐり》を伐っていることが思い出された。白い鋸屑《のこくず》が落葉の上に散って、樹は気持よく伐り倒されて行く。樹の倒れる音響に驚いて小鳥がけたたましく囀って飛びまわる。……山仕事の方がどれだけ面白いかしれない……
「チェッ…………どうなりゃ!」
古江は、きらりとすごい眼つきをした。京一は、桃桶を袋の口にあてがいはずして、諸味を土の上にこぼしたのである。諸味は、古江の帆前垂《ほまえだれ》から足袋を汚してしまった。
「くそッ?」
「ははははは……」
傍で袋をはいでいる者達は面白がって笑った。
仁助は、従弟が皆に笑われたり、働きが鈍かったりすると、妙に腹が立つらしく、殊更京一をがみがみ叱りつけた。時には、彼の傍についていて、一寸した些事を一々取り上げて小言を云った。桃桶で汲む諸味の量が多いとか、少いとか、やかましく云った。
すると、古江も図に乗って、仁助と同じように小言を並べた。
「おーい、やろか。」
三十分のタバコがすむと、仁助は事務所から出て来て、労働者にそれぞれ仕事を命じた。仕事はいろいろあった。そして京一にはどれも、これも勝手が分らなかった。器具だけでも沢山あって、容易にその名前を覚えられなかった。コキン、コガ、スマシ、圧《お》し棒、枕……こんな風に変な名前がいくらでもあった。枕といっても、勿論、寝る時に使うそれではなかった。
五六人も揃って同じ仕事をする場合には仕事に慣れた古江は若い者
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