らず母親《ははおや》のようなやさしいほほえみで笑《わら》いかけながら、そうつけたしました。「な、キリストさまが、ついておいでじゃ、さあ、行きなされや。」
そして、片手《かたて》でわたしのかわりに十|字《じ》をきり、それから、自分も十字をきりました。
わたしは、十|歩《ぽ》ごとにうしろをふりかえりながら歩いて行きました。マレイはわたしが歩いて行くあいだ、ずっと自分の馬といっしょに立ったまんま、わたしのうしろを見送っていてくれました。わたしがふりかえるたびに、うなずいてみせるのでした。じつは、わたしは、あんなにふるえあがったのが、今ではなんだかマレイにすこし恥《は》ずかしくなりました。けれど、それでも、谷《たに》の斜面《しゃめん》をのぼって、とっつきの納屋《なや》へ出るまでは、やっぱり、おおかみをこわいこわいと思いながら歩いて行ったのです。でも、そこまできたら、こわいなぞという気持は、すっかり消《け》しとんでしまいました。すると、そのときふいに、どこからやってきたのか、うちの飼《か》い犬のヴォルチョークが、わたしにとびつきました。犬がきたので、わたしはもうすっかり元気《げんき》になって、おしまいにもう一ぺん、マレイをふりかえってみました。その顔《かお》は、もうはっきりとは見えませんでしたが、やっぱりやさしくほほえみながら、こちらへ向かってうなずいているような気がします。わたしが手をふると、マレイのほうでも手をふって、それから馬を引き始めました。
「ほれ、よう!」また、マレイのかけ声が遠くつたわってきて、馬は鋤《すき》を引き始めました。
こんなことが、みんな、どうしたわけか一度にぱっとわたしの心によみがえってきました。おどろいたことには、こまかいことまで、とてもはっきりと、浮《う》かんできたのです。わたしは、急《きゅう》にはっとして、板《いた》の寝床《ねどこ》の上に起きなおりました。そのわたしの顔には、今でもおぼえているのですが、まだ静《しず》かな思い出のあのほほえみが消《き》えずに残《のこ》っていました。ほんの一分ばかり、わたしは、まだ思い出にひたっていたのでした。
わたしはその日、マレイの畑《はたけ》からうちにもどっても、あの「できごと」のことは、だれにも話しませんでした。それに、できごとというほどのことでもないではありませんか? マレイのことだって、そのこ
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