歩後ろに立っているアリョーシャを眺めたものは、一瞬にして彼の両頬を染めた紅潮に気がついたことであろう。彼の眼はぱっと輝いて伏せられた。
「アレクセイ・フョードロヴィッチ、この子はあなたにことずかりものをしていますのよ……御機嫌はいかが?」突然、母夫人はアリョーシャのほうを向いて、美しく手袋をはめた手を差し出しながら、語をついだ。長老はつとふり返ると、急にアリョーシャをじっと見つめた。アリョーシャはリーザに近寄ると、なんとなく妙な、間の悪そうな薄笑いを浮かべながら、彼女の方へ手を差し出した。リーズはもったいらしい顔つきをした。
「カテリーナ・イワーノヴナが、あたしの手からこの手紙をあなたに渡してくれって」と彼女は小さな手紙を差し出した。「そしてね、ぜひ、至急に寄っていただきたいっておっしゃったわ。どうそ瞞《だま》さないでぜひいらっしてくださいって」
「あの人が僕に来てくれって? あの人のところへ僕が……どうしてだろう?」アリョーシャは深い驚きの色を浮かべながら、こうつぶやいた。彼の顔は急にひどく心配そうになった。
「それは、ドミトリイ・フョードロヴィッチのことや……それから近ごろ起こったいろんなことで御相談があるのでしょうよ」と母夫人はかいつまんで説明した。「カテーリナ・イワーノヴナは今ある決心をしていらっしゃいますの……けれど、そのためにぜひあなたにお目にかからなければならないんですって……どうしてですか? それはむろん、存じませんが、なんでも至急にってお頼みでしたよ。あなたもそうしておあげになるでしょう、きっと、そうしておあげになりますわね。だって、それはキリスト教的感情の命令ですもの」
「僕はあの人にはたった一度会ったきりですよ」と、アリョーシャは依然として合点のいかぬ様子でことばを続けた。
「ほんとにあのかたは高尚な、とてもまねもできないようなかたですわ!……あのかたの苦しみだけからいってもねえ……まあ、考えても御覧なさいな、あのかたがどんなに苦労をしていらっしたか、またどんなに苦労をしていらっしゃるか、そしてこの先どんなことがあのかたを待ち受けているか……ほんとに何もかも恐ろしいことですわ、恐ろしいことですわ!」
「よろしい、では僕まいりましょう」とアリョーシャはきっぱり言って、短い謎《なぞ》のような手紙にざっと眼を通して見たが、ぜひとも来てくれという依頼のほかには、何の説明もしていなかった。
「ああ、それはあなたとして本当に美しい、立派なことなのよ」不意にリーズは活気づいてこう叫んだ。「だって、あたしお母さんにそう言ってたのよ――あの人はどんなことがあっても行きゃしない。あの人はお寺で行をしてるんですものって。まあ本当に、あなたはなんという立派なかたなんでしょう! あたしね、いつもあなたを立派なかただと思っていたの。だから今そのことを言うのが、とてもいい気持なのよ!」
「リーズや!」と母夫人はたしなめるように言ったが、すぐににっこり笑った。
「あなたはすっかりわたしたちを忘れておしまいになったのね、アレクセイ・フョードロヴィッチ、あなたはちっとも宅へいらしてくださらないじゃありませんの。ところが、リーズはもう二度もわたしに向かって、あなたと御いっしょにいるときだけ気分がいいって申しましたのよ」アリョーシャは伏せていた眼をちょっと上げたが、また急にまっかになって、それからまた突然、自分でもなぜだかわからない微笑を浮かべた。けれども長老はもう彼を見守ってはいなかった。彼は、前に述べたとおり、リーズの椅子のかたわらで自分を待っていた、旅の僧と問答を始めたのである。それは見たところ、きわめて質朴な僧らしかった。つまり身分も低くて、単純で危なげのない世界観をいだいてはいるが、それだけに頑固な信仰を持った僧の一人である。そのことばによれば、彼はずっと北の果てのオブドルスクにあって、わずか十人しか僧侶のいないという、貧しい聖シルヴェストル寺院からやって来たとのことであった。長老はこの僧を祝福して、いつでも都合のいいときに庵室をたずねてくれと言った。
「あなたはどうしてあんなことを思いきってなされるのでございますか」と僧はだしぬけに、非難するようにものものしい態度で、リーズを指しながら尋ねた。それは彼女の『治療』のことをほのめかしたのである。
「これについてはもちろん、まだ語るべき時ではありませんじゃ。少し軽くなったからとて、すっかりなおりきったわけではないし、それにまた、何か他に原因があるのかもしれませぬでな。しかし、たとえ何かききめがあったとしても、それは誰の力でもなく、ひとえに神様のおぼしめしじゃ。何もかも神意から出ているのじゃ。ときにぜひおたずねくだされ」と彼はつけたして僧に言った。「でないと、いつでもというわけにはまいりま
前へ 次へ
全211ページ中37ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
ドストエフスキー フィヨードル・ミハイロヴィチ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング