ゥ身を防衛する。したがって、より高き調和などは平に御辞退申し上げるよ。そんな調和は、あの臭い牢屋の中で小さな挙を固めて、われとわが胸をたたきながら、あがなわれることのない涙を流して、『神ちゃま』と祈った哀れな女の子の一滴の涙にすら値しないからだ! なぜ値しないかといえば、それはこの涙があがなわれることなしに打ちすてられているからだ。この涙は必ずあがなわれなくてはならない、さもなければ調和などというものはあり得ない。ただ、何によって、何をもってあがなおうというのだ? いったいそれは可能なことであろうか? 復讐《ふくしゅう》によってあがなわれるというのか? でも、僕には復讐なんか用はない、暴虐者のための地獄など、何になるんだ。すでに罪なき者が苦しめられてしまった暁に、地獄なんかが何の助けになるんだ! 第一、地獄が存在していてどんな調和があるんだ。僕は許したいのだ、抱擁したいのだ、人間がこれ以上苦しむことを欲しないのだ。もしも子供の苦悶が真理のあがないに必要なだけの苦悶の定量を満たすために必要だというなら、僕は前もってきっぱり断言しておく――いっさいの真理もそれだけの代償に値しないと。それぐらいなら、母親がわが子を犬に引き裂かした暴君と、抱擁などしてくれなくってもいいんだ! 母親だって、暴君を許す権利はないのだ! もしも、たって望むなら、自分だけの分を許すがいい、自分の、母親としての無量の苦痛だけを許してやるがいい。しかるに八つ裂きにされたわが子の苦痛は、けっして許す権利を持っていないのだ。たとい、子供自身が許すといっても、その暴君を許すわけにはいかないのだ! もしもそうならば――もしも誰もが許す権利を持っていないとすれば、いったいどこに調和があり得るのだ? いったいこの世界に許すという権利を持った人間がいるだろうか? 僕は調和は欲しくない、つまり、人類に対する愛のために欲しくないというのだ。僕はむしろ報復されない苦悶をもって終始したい。たとい僕の考えが間違っていても、やるせない苦悶と、癒《い》やされざる不満の境にとどまるのを潔しとする。それに調和というやつがあまり高く値踏みされているから、そんな入場料を払うことは、どうも僕らのふところぐあいに合わないんだよ。だから僕は自分の入場券だけを急いでお返しする。僕が潔白な人間であるならば、できるだけ早くお返しするのが義務なんだよ
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