A生きておらなかったものか、また現に今でも個々の心の動きのうちに――民衆の動きの中に生きておらんものだろうか? それどころか、あらゆるものを破壊する無神論者の心の動きの中にさえ、以前と同じように厳然と生きておるのじゃ。つまり、キリスト教を否定して、反旗をひるがえす人でさえもが、その本質においては、キリストの面影を宿しておるによってじゃ、しかも今もなお、そのとおりの人として生活をつづけておるからだ。その証拠には、彼らの知恵も、彼らの情熱も、かつてキリストによって示されしもの以外に、人間とその品位に相当するすぐれたお姿を、創《つく》り出すことができなかったのではないか。種々の試みもあったが、それはいずれもかたわのような醜いものばかりだ。アリョーシャ、このことは特によう覚えておくがよろしい。なぜというて、おまえは、臨終の長老のお指図《さしず》で、世間へ乗り出して行かねばならんからだ。この偉大なる日を思い出すときに、おまえの門出のために衷心から与えたわしのことばも、やはり忘れずにおってくれるじゃろうな。なにせ、おまえは若いから、世の中の誘惑が激しゅうて、耐えてゆくのは力に及ばぬかもしれぬでな。いや、もうよい、行きなさい」
こう言ってパイーシイ主教は彼を祝福した。修道院を出て行くとき、この思いもかけないことばを思いめぐらしているうち、アリョーシャは、急に今まで自分に対して厳重冷酷であったこの主教が、今にしてみれば思いもよらない親友で、また、暖かい気持で自分を愛してくれる新しい指導者だ、ということがやっとわかってきた、――まるでゾシマ長老が死に面して、この人に遺言でもしたかのようであった。
『たぶん、お二人のあいだに、それくらいのことがあったのかもしれない』アリョーシャはふと考えた。たった今、彼の聞かされた思いがけない学者らしい議論は、ほかならぬこの議論は、パイーシイ主教の情熱に富んだ心を証明している。彼はできるだけ急いでアリョーシャの若い知性に、世の誘惑と闘うべき武器を与え、遺言によって自分に託された若い魂に、われながらこれ以上堅固なものを想像しえないくらいに、堅固な牆《かき》をめぐらそうとしたのである。
二 父のもとにて
アリョーシャはまず最初に父のところへおもむいた。そばまで来たとき、彼は昨日、父親が、なるべくイワンに見つからないようにそっとはいって来いと、
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