ナある。アリョーシャはテーブルから不意に飛び上がるなり、今の話の母親そのままに手を打つと同時に両手で顔をおおって、まるで足を払われたように、椅子の上へ倒れかかると、ヒステリカルに痙攣《けいれん》させながら、声は立てないが思いがけなくせき上げる涙に泣きくずれてしまったのである。この恐ろしい、母親そっくりの類似が、ことのほか老人を驚かしたのである。
「イワン! イワン! 早く水を持って来てやれ、まるであれのようだ、寸分たがわずあれにそっくりだ、あの時のこれの母親とおんなじだ! おまえの口から水を吹きかけてやれ、わしも彼女《あれ》にそうしてやったんだよ、これは自分の母親のことで、母親のことで……」と彼はイワンに向かって、しどろもどろにつぶやいた。
「けど、僕のお母さんが、つまりアリョーシャのお母さんだと思うんですが、どうお考えです?」突然、イワンは憤《いきどお》ろしい侮辱の念を制しきれないで、思わずこう口走った。老人はぎらぎら光る彼の眼眸《まなざし》にぎっくりした。しかし、その時、ほんの一瞬間ではあったが、実に奇態なことが起こったのである。というのは老人の頭から、アリョーシャの母がとりもなおさずイワンの母であるという考えが、すっかりぬけ去っていたのである。
「なんでおまえの母親がそうなんだ?」彼は、何がなんだか腑《ふ》に落ちないでつぶやいた、「なんでおまえはそんなことを言うのだ? いったいどの母親のことを言うのだい……あれはなんだよ……やっ、こん畜生! そうだ、あれはおまえの母親だとも! ちえっ、畜生! いや、こいつはついぞない、頭がぼうっとしていたんだよ、勘弁してくれ、わしはまた、なんだよ、その、イワン……へ、へ、へ!」そこで彼はふいと口をつぐんだ。酔余の、引きのばしたような、半ば意味のない、薄笑いがにやりとその顔にひろがった。が、突然この瞬間に玄関で激しい喧嘩《けんか》の音が起こって、狂暴なわめき声がしたと思うと、ぱっと扉があいて、広間へドミトリイ・フョードロヴィッチが躍りこんで来たのである。老人はおびえあがって、イワンのほうへ駆け寄った。
「人殺しだ、人殺しだ! 助けてくれ、た、助けて!」とイワン・フョードロヴィッチのフロックコートの裾《すそ》にしがみつきながら、彼はこう叫び続けた。

   九 淫蕩《いんとう》な人たち

 ドミトリイ・フョードロヴィッチのすぐ後ろ
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