あの人のはまだ水の出端《でばな》である。それにあの人が控目にしてゐるのだから、君と己とはそれを手本にして節制を加へなくてはならなかつたが、二人にはそれが出来ぬのであつた。己達は昔のやうに又島の倶楽部の卓を囲むことになり、それよりは屡《しば/\》博奕の卓を囲むことになつた。紙で拵へた仮面は己達の顔を掩つた。己達は興を縦《ほしい》ままにした。一体ヱネチアと云ふ土地ではさうせずにはゐられぬ事になつてゐる。君も己もヱネチアの子だから為様《しやう》が無い。二人の痴戯《ちき》を窮めるのを見て、レオネルロは微笑《ほゝゑ》んだ。
 そのうちに千七百七十九年のカルネワレの祭日が来た。祭日は例年よりも華美で賑かであつた。遊びは厭きる程ある中に、己達は一日を己の別荘で暮らすことにした。先づそれ丈の約束をして置いて、己は先へ別荘に来て、準備をした。翌日は君とレオネルロと二三の親友とが来る筈である。その又次の日には大勢の客が案内してある。寒気が珍らしく軽いので、大勢の客の来る日には、暮れてから庭で遊びをすることにしてある。己はそれが余程立派になることを期待してゐた。
 君は約束の日に期を愆《あやま》らずに来てくれた。一しよに来たのは、兼て極めてあつた五人の友達である。君達は皆仮装をして、それを一輛の美しい馬車が満載して来た。そこで己は君達を別荘の所々《しよ/\》に連れて廻つて、あすの遊びの準備を見せた。あすの晩には、庭の岩窟《いはむろ》に蝋燭を焚いて舞踏会をして、それから鏡の広間で宴会をしようと云ふので、己は君達と種々《しゆ/″\》の評議をして、今宵は明かりの工合を試験して置くと云ふことになつた。己はレオネルロと臂を組み合せて鏡の広間に立つてゐた。レオネルロは笑ひながら仮面を扇のやうにして顔のほてりをさましてゐた。己は中央に吊る燭台の明かりをためすために、窓を締めて窓掛を卸すことを、家隷《けらい》共に命じた。真つ暗でなくては、明かりの工合が分からぬからである。窓を締め窓掛を卸して、蝋燭がまだ附かぬので、広間が一刹那真の闇になつた。己達はその中に立つてゐて、己は家隷共に明かりの催促をした。「早くしないか。いつまでも暗くしてゐては困るぢやないか」と云つたのである。その時突然己は或る冷やかな尖つた物が胸を貫いて、己の性命の中心に達し、己の口一ぱいに血が漲るのを感じた。

     ――――――――
前へ 次へ
全25ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
レニエ アンリ・ド の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング