などは、むろん事実としては何の根拠もないことなのでしょうけれど、しかし、その土地に史話だとか、伝説などが絡《から》んでいるということは、なんとなく物ゆかしくて、いいものです。
私はことに謡曲が好きなものですから、この鼓が浦にこうした伝説のあるということを、何よりも嬉しいと思っているのです。
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去年の春の帝展には、あの不出品騒ぎで、私も制作半ばで筆を擱《お》いてしまっていますが、すでに四分通りは出来ているのですから、今度の文展にはぜひこれを完成して出品したいと思っています。図は文金高髷《ぶんきんたかまげ》の現代風のお嬢さんが、長い袖の衣裳で仕舞をしているところを描写したものです。私の考えでは、その仕舞というものの、しっとりと落ちついた態勢を十分に出したいと期して筆を執ったもので、舞踊とか西洋風のダンスなどの、あの華やかな姿勢に傾かぬように注意したものです。
仕舞というものは、とても沈着なものでして、些《すこ》しの騒がしさなど混じっていないところに、その真価も特色もあるのですが、それでいて、その底には、張りきった生き生きとした活気が蔵されているものです。私はそこを描写したいと苦心しています。
私は最初、これを丸髷の若奥さまとして描写してみたのですが、若夫人では、すでに袖の丈《たけ》がつまっていますからあの袖を、腕の上に巻き返した格好、あれが出来ませんから、あらためて、袖の長い令嬢にしたのでした。仕舞で、袖を上に巻き返したあの格好、あれはとてもいい姿だと思います。
この図を思いついたのは、私がときどき仕舞拝見に出向いたおりに、よく令嬢や若夫人たちが舞っているのを見かけることがありますので、そこにふかい興味をもったからでした。
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先年、ある作家の描いた仕舞図がありましたが、その図を見ますと、その扇の持ち方に不審な点がありましたので、私はそれを金剛巌《こんごういわお》氏にきいてみたのでしたが、金剛氏は「それはいけませんな、そんな持ち方などしたら、叱られますよ」といっていられました。
しかし、それは他事《ひとごと》ではありません。今度は私自身がその仕舞図を描くことになったのですから、そんな前車の轍《てつ》をふまないように注意しなくてはいけないと思って緊張しているのです。
仕舞というものは、名人の話によりますと、小指と足の
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