町」は昭和十二年の文展出品作で、これは金剛巌先生の能舞台姿から着想したものであります。
 金剛先生の小町は古今の絶品とも言われていますが、あの小町の能面がいつか紅潮して、拝見しているうちにそれが能面ではなく世にも絶世の美女小町そのものの顔になって生きているのでした。まるで夢に夢みる気持ちで眺めていた私は、
「あれを能面でない生きた美女の顔として扱ったら……」
 そう思ったときあの草紙洗小町の構図がすらすらと出来上ったのでした。

 むかしむかし内裏の御殿で御歌合せの御会があったとき大伴黒主の相手に小野小町が選ばれました。
 黒主は相手の小町は名にし負う歌達者の女性ゆえ明日の歌合せに負けてはならじと、前夜こっそりと小町の邸へ忍び入って、小町が明日の歌を独吟するのを盗みきいてしまいました。
 御題は「水辺の草」というのですが、小町の作った歌は、
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蒔かなくに何を種とて浮草の
   波のうね/\生ひ茂るらむ
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 というのですが、腹の黒主はそれをこっそり写しとって家に帰り、その歌を万葉集の草紙の中へ読人不知として書き加え、何食わぬ顔をして翌日清涼殿の御歌合せの御会へのぞみました。

 集まる人々には河内の躬恆《みつね》、紀の貫之、右衛門の府生《ふしょう》壬生|忠岑《ただみ》、小野小町、大伴黒主はじめこの道にかけては一騎当千の名家ばかり――その中で、いよいよ小町の歌が披露されると、帝をはじめ奉り一同はこれ以上の歌はまずあるまいといたく褒められたが、そのとき黒主は、
「これは古歌にて候」
 と異議の申し立てをし万葉の歌集にある歌でございますと、かねて用意の草紙を証拠にさし出しましたので、小町は進退に窮し、いろいろと歎きかなしみますが、ふとその草紙の字体が乱れているのと、墨の色が違っているのを発見したので、帝にそのことをお訴え申し上げたところ、帝には直ちにおゆるしがありましたので、小町はその場で草紙を洗ったところ、水辺の草の歌はかき消すがごとく流れ去って、小町は危いところで歌の寃罪からのがれることが出来たのであります。

 なかなかよく出来た能楽で小町が黒主から自分の歌を古歌と訴えられて遣る方のない狂う所作はこの狂言の白眉であって、それをお演《や》りになられる金剛先生のお姿は全く神技と言っていいくらいご立派なものでした。
 私は小町の
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