、円山公園藤棚の所にあった牡丹畑という料亭に春秋二回大会を開いて作品を公開しました。
 当時はそういうときには、席上ということをやりまして、赤毛氈をしいた上に絵師が並んで扇子、短冊、色紙などへどうか御一筆と、来る人毎に簡単なものを描いて渡したものでした。
 松年塾には私の他に竹園さん梅園さんがいられて、三人の若い娘は桃割姿で赤毛氈の上に並んだものです。
「それ松竹梅がいやはるぞ」と半ば冷かされながら人気を呼んだものでした。春の円山、三人の桃割娘が赤毛氈に並んで所望される席画を淡々と描いてる風景など、昔を今になすよしもがなです。竹園さんはその後夭折され、梅園さん、絵専の中井宗太郎教授の姉さんは今もなお御健在です。思えば瞼に写る走馬燈は限りない絵草子を拡げます。
[#地付き](昭和十一年)



底本:「青帛の仙女」同朋舎出版
   1996(平成8)年4月5日第1版第1刷発行
初出:「京都日出新聞」
   1936(昭和11)年2月11日
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2009年1月31日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www
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