と独創に閃く作品は見ることは出来ません。文展に第二回第三回と美人画が出れば、その後の婦人の絵かきは誰れも彼れも美人画でなければ夜も日も明けないように思っているのであります。皆が皆女は美人画が好きだということはありません。それぞれの有《も》ち前の個性から花鳥とか山水とかを描くべきであります。
 私もよく美人画を描きますが、元来美人画が好きでありまして、ただもうこう出て来なければならないという道を選んだわけであります。私は今の美術学校の前身である画学校で絵を習いましたが、その時分の先生が鈴木松年さんで、なかなか筆の固い人で、虎とか羅漢《らかん》とか松とかと、そんなものばかり描いておられました。私は初めから美人画が好きでありましたが、こういう先生のもとにいたものでありますから、てんで美人画の手本などというようなものはありませんでした。絵を習う順序としては梅の枝とか鳥とかを卒《お》えてでないと人物は習えないものとしてあったのであります。私はこんな順序に拘泥せずしかも手本もなしに美人画を腕に摂《つ》め込むまでには、じかに写生などをして種々に苦心しました。
 私は自分は絵を描くために生まれて来たのだというくらいの必然性が伴っていてこそ本当に制作というものが聞かずして会得《えとく》出来るものと思います。低級な雑誌の口絵を模写したり、人の足跡を追っているようでは寧ろ初めから出直したがいいと思います。しかして現代の婦人画家は模倣性が強くて少しも自己に資料を求めるというような真摯《しんし》な態度は少しもありません。それが絵のみならず雅号のようなものからしてそうなのであります。たとえば私が松園といえば、東京にも大阪にも園、園と沢山に似交《にかよ》った雅号の作家が出るような有様であります。たとえ雅号のようなものでもが自己本来の個有なものに目醒めて来なければなりません。(談)



底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
初出:「藝苑 第一編第九号」
   1920(大正9)年2月
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年5月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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