京都を出発する前にコレラやチブスや疱そうの注射をして行ったのであった。よほど用心してゆかないと蒋介石のテロにあったりしてあぶないなどといろいろそのお医者さんは注意してくれた。日本服を着てゆくと目立つといっておどかされたのであったが、上海の街を歩いてみると、日本服の娘さんや相当の老婦人が平然として歩いている。子守がいたり、沢山日本人がいたので私はすっかり安心してしまったのであった。
租界の内部の方はなお危険がない。ホテルのそばでは青物市場があってそこへ日本人の女の人が沢山青物を買い出しに行っているのをみたのであった。
一番終りの日に、支那芝居を一時間ほどみた。女形のいい役者が来ていた。筋書は分らなかった。さわがしい囃子であった。日本の芝居のように道具立てや背景がない。幕が後の方にたれ下がっているだけである。門でも必要なときにかついで出て来るといった塩梅である。門の印だけをおく、役者がその門をくぐってしまうとそれを早速たたんでうちへ入れてしまう。日本の能の道具のような象徴的なものであった。
もっとも芝居は蘇州でもちょっと田舎芝居をみた。南京から帰る蘇州特務機関長に汽車の中でおめにかかったのであったが、その時汽車の中へ日本人がどやどやとはいって来たが、上海の新聞に私の写真や記事を掲げていたので人々はそれをみていたらしく、汽車に乗り込むとその一行が新聞の主だなと分ったのであろう、向うから私に言葉をかけられた。この人は金子さんという中佐であったが、蘇州の庭園のいいところなどをみせてあげようという話であった。そこでその人の官舎へ来るようにとのことだったので、蘇州のしげの家《や》という日本宿に落着いてから、やがてその官舎の方へお訪ねしたわけであった。それは立派な広い大きな官舎で、晩餐の御馳走をいただいたのである。この人はとても話ずきで、それからそれへと話はつきなかった。
そこからの帰路、芝居をみたのであった。中佐はその時、私の秘書に芝居を案内させましょうと言われたので、自動車で芝居につれて行って下すった。この秘書はまた顔利きであったのか楽屋へはいって見ましょうと言うので、それをみせてもらうことになった。ごみごみした二階へあがってゆくと、それは一つの部屋でみな役者がそれぞれ持役に従った扮装をしているのであった。皇帝やチャリやいろいろの役になっている。皇帝になるのは鼻の高い、
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