わらじ、私ども女は草履《ぞうり》に後がけをして一日の行程九里位は平気でした。洛北の渓谷を歩き廻って、山村の宿に泊まったこともあります。何分二十名位の客が急に泊まるのですから、宿では村の娘さんたちを召集して給仕させるのですが、血気盛んな若者揃いですから、村の娘も「おいゴハン」あちら、こちらから大声で呼ばれ、眼をまわすほどの忙しい目にあったものでした。こうした写生旅行は月に一回あって苦しい思い出、楽しい回想は尽きません。
今大東亜戦下の国民はあらゆる困苦に耐えています。節電は街を暗くし、交通機関も無駄な旅を戒めています。何となく私達の修行時代、明治年間を想わすものがありますが、若きその頃の画人は明朗で元気一杯でありました。
[#地付き](昭和十八年)
底本:「青帛の仙女」同朋舎出版
1996(平成8)年4月5日第1版第1刷発行
初出:「日本美術」
1943(昭和18)年5月号
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2009年6月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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