、無限の表情が流露《りゅうろ》して尽くるところがありません。

     ◇

 能楽からくる感銘はいろいろです。単なる動作や進退の妙というだけのものではなく、衣裳の古雅荘厳さや、肉声、器声の音律や、歴史、伝説、追憶、回想、そういうものが舞う人の妙技と合致して成立つものですが、殊にこの能楽というものは、泣く、笑う、歓喜する、憂い、歎ずる、すべてのことが決して露骨でなく、典雅なうちに沈んだ光沢があり、それが溢れずに緊張するというところに、思い深い、奥床しい感激があるのです。

 感ずれば激し、思うだけのことを発露するという西洋風な表現のしかたも、芸術の一面ではあろうと思いますが、能楽の沈潜した感激は哲学的だと言いましょうか、そこに何物も達しがたい高い芸術的な匂いが含蓄《がんちく》されてあると思います。こういう点で能楽こそは、真の国粋を誇りうる芸術だといえましょう。

     ◇

 私は、その名人芸を見る度毎に、精神的な感動を受けます。どうしてこうも神秘なのであろう、こういう姿をした、こういう別な世界は、果たしてあるのであろうか、無いようでありながら、たしかに此処に現われている、といったような微妙な幻想にさえ引きこまれて、息もつけずにその夢幻的な世界に魂を打ちこんでしまうのです。

 私はこの能楽の至妙境《しみょうきょう》は、移して私どもの絵の心の上にも置くことができましょうし、従って大きな益を受けることができると思いますので、ますます稽古に励むつもりでいますし、また人にも説くこともあります。

 私はこの頃、皇太后陛下の思召によります三幅対の制作に一心不乱になっております。これは今から二十一年も前に御仰せを蒙ったものですが、いろいろの事情に遮られて今日までのびのびになっていることが畏《かしこ》く存ぜられますので、他の一切のことを謝絶していますが、間々《あいあい》の謡曲の稽古だけは娯しみたいと思っております。



底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
初出:「大毎美術 第十六巻第三号」
   1937(昭和12)年3月
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年10月15日作成
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