である。
細すぎてもならず、毛虫のように太くてもならず、わずか筆の毛一本の線の多い少ないで、その顔全体に影響をあたえることはしばしば経験するところである。
眉が仕上げのうえにもっとも注意を払う部のひとつであるゆえんである。
眉も女性の髪や帯と同様にそのひとの階級を現わすものである。
王朝時代は王朝時代でちゃんと眉に階級をみせていた。眉のひきかた剃りかたにも、おのずとそのひとひとの身分が現われてい、同時にそれぞれ奥ゆかしい眉を示していたものである。
上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]女房――御匣殿《みくしげどの》・尚侍《ないしのかみ》・二位三位の典侍《すけ》・禁色をゆるされた大臣の女・孫――の眉と、下位の何某の婦の眉と同じということはない。
むかしは女性の眉をみただけで、あれはどのような素姓の女性であるかということが判った。そこにもまた日本の女性のよさがあったのであるとも言えよう。もちろん素姓のことは眉をみるまでもなく、その人の髪や帯その他のきこなし[#「きこなし」に傍点]を一見しただけで判るには判ったのであるが……
もっとも今の女性でも、眉の形でそのひとがどのような女性であるかが判らないでもない。
しかし往古の女性のような日本的美感の伴わないものの多いのは残念である。
せっかく親から享けたあたら眉毛を剃り落し、嫁入り前の若い身で一たん青眉にし、その上へすすきの葉のようにほそい放物線を描いたりしているのは、あまり美的なものとは言えないのである。
その放物線の果てがどこで終るのかと心配になるほど髪の生えぎわまでものばしている描き眉にいたっては、国籍をさえ疑いたくなるのである。そのようにして自分の顔の調和をこわさなくてはならぬ女性というのは、一体どういう考えを自分の顔にたいして持っているのであろう。ああいう眉に日本女性の美しさは微塵も感じない。
感じないはずで、その拠って来たところのものがアメリカ女優の模倣であるから、日本の女性にしっくり合わないのは当然すぎるほど当然の理なのである。
私はもちろん美しい新月のように秀でた自前[#「自前」に傍点]の眉に美と愛着は感じてはいるが、その秀でた美しい自前[#「自前」に傍点]の眉毛を剃り落したあの青眉にたまらない魅力を感じているひとりなのである。
青眉というのは嫁入りして
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