で描いて行かれたので、どの作品にも生命があった。
 土田さんの作品で一番古く記憶にはっきり残っているのは、まだ文展の開かれない前、毎春京都で開かれた美術協会の展覧会に出された〈罰〉という絵だ。田舎の小学校の教室の一隅に、三人の少年が直立さされてる図で、この絵は御池の栖鳳先生のお宅の二階で描いていられた時から知っていた。少年の立ってる足許に野菊の折枝が二、三本あしらってあるが、もう殆ど仕上りに近づいた時丁度私が行き合わしてると、「さぁ今度は野菊を描かんならぬ。どこぞ咲いてる所ないかいなぁ」と言って側にいる人に訊ねて、それが二条離宮の近所に咲いてると聞かされ「そうか、ちょっと行ってとってこう」と出掛けて行く姿が、今でも目に残ってる。
〈徴税日〉もその会に出た。これも田舎の風俗で、村役場みたいな所に爺さんやお上さん達が税を納めに来てる絵で、一人の小娘が赤い鼻緒の草履を履いていた。〈春の歌〉は田舎の子供が手をつないで輪になって、唱歌をうたっている図だった。その頃土田さんの好んで描いた題材は、主として田舎の現代風俗だった。その中に珍しく〈孟宗竹〉があった。これは向日町辺に写生に通ったりしたものだ
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